シルクロードの「闇」にも迫る特別展が大英博物館で開催中。宗教も拡大する巨大ネットワークの全貌とは?
奴隷貿易や帝国の興亡など「負の側面」も含めた新しい視点を提示
しかし、シルクロードの歴史には影の部分もある。展覧会で取り上げられたのは、奴隷制度、戦争、宗教的対立、占領などだ。たとえば、中国の敦煌で発見された写本は、周辺地域に組織的な奴隷取引の市場があったことを示している。展示されている契約書には、シアンシェンという28歳の女性が、奴隷として絹5反と引き換えに売られたことが記され、仏僧と尼僧が売買の証人として契約書に署名している。こうした市場は、奴隷を贈り物にした外交使節にも利用されていた。 また、シュラという名のヌビア人女性の売買を詳細に記録したアラビア語の文書は、ヌビア地域(エジプト南部~スーダン)で奴隷が商品として扱われていたことを示すものだ。奴隷の状態を保証する証書には、身体の特徴となる傷跡などが記されている。エジプトの乾燥した砂漠気候のおかげで奴隷売買に関する何百もの法的文書が残っているが、その中には奴隷にされた人々の詳細な情報もあり、身元や過酷な境遇を今に伝えている。こうした負の側面に光を当てたことについて、展覧会の企画に関わったビザンツ世界の専門家、エリザベス・R・オコネルはこう説明する。 「シルクロードの物語は、太平洋から大西洋に至る広大な地域をまたいで行われた無数の旅で成り立っています。シルクロード展では、この地域で覇権を握った帝国から1人の旅人まで、自発的な、あるいは強制的な移動を促すネットワークが広範囲にわたるものだったことを明らかにしています。外交使節や巡礼者、学者や学生、難民や捕虜、商人や隊商が繰り広げる多彩なストーリーを皆さんに見ていただけるのは、とても光栄なことです」
文化の壁を越え、広い地域での交易を実現するには、地政学的な側面からの同盟や外交も必要とされる。そうした関係を強化し、維持するために不可欠だったのが贈り物の交換だ。現在のウズベキスタン・サマルカンドのアフラシャブ遺跡で発見された《Hall of Ambassadors(大使の間)》の壁画は、ソグド人が東西交易に活躍した時代の貴重な美術品として知られる。そこに描かれているシルクロードの名高い商人たちは、地中海からインド、中国へと、数千キロもの交易の旅をしていた。 6世紀初頭、ソグディアナと呼ばれるこの地の都市国家群は、突厥(トルコ系遊牧民)の帝国に征服される。その後、突厥と都市国家の複雑な関係は同盟へと発展し、ソグディアナによる交易の独占を後押しした。上記の壁画などの考古学的発見からも明らかなように、ここでは洗練された宮廷文化が花開いたが、それは交易によって蓄積された富と、広範な地域との外交関係が(時に敵対することはあっても)築かれていたおかげだった。 大英博物館の大規模なシルクロード展は、そこで起きた数々の出来事をさまざまな側面から紹介している。しかし、「これ以外にも今後さらに掘り下げていくべきテーマや物語、ストーリーがあります」とブラニングが言うように、シルクロードの全てを網羅しているわけではない。それでも、見学者に威圧感を与えるほど膨大な展示品を集めた今回の展覧会は、シルクロードのネットワークが想像以上に広大な地域に及んでいた事実を反映している。それが何を伝えてくれるのか、ブラニングはこう語る。 「展覧会では、世界のさまざまな地域同士のつながりにどれほど奥深い歴史があるかが示されています。今日、私たちが暮らすグローバルな世界と照らし合わせることで、多様な地域の異なる文化との協調が可能であることを理解できるでしょう」(翻訳:清水玲奈)
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