シルクロードの「闇」にも迫る特別展が大英博物館で開催中。宗教も拡大する巨大ネットワークの全貌とは?
「絹の道」の重層的な歴史と地理的広がりを伝える壮大な展覧会
絹と人類の歴史には長く密接な関係があり、考古学者によると養蚕が行われていた痕跡は今から5000年前にまでさかのぼることができる。中国の民話や孔子の著述には、養蚕の始まりをめぐる伝承が記されているが、それによると紀元前3000年頃に黄帝の正妃である嫘祖(西陵氏)が偶然絹糸を発見したという。 伝説の概略はこうだ。ある日、妃が桑の木の下で茶を飲んでいると、蚕の繭が茶碗の中に落ちてきた。繭が熱い茶の中でほどけ始めたので、さらにほぐしてみると、光沢のある長い糸になった。魔法のように糸へと変化する様子に驚いた妃は、繭を集めて糸をつむぎ、布を織った。養蚕の祖となった西陵氏は絹の女神と呼ばれるようになり、現在も「蚕母」として、中国では広く崇拝の対象となっている。 紀元前2世紀頃にシルクロードが誕生するまで、中国は何世紀にもわたり養蚕の秘密を守り続けてきた。贅沢でエキゾチックな魅力のある商品としてシルクロード貿易の中心となった絹は、人気のあまり、その秘密を手に入れようとするおびただしい数の間諜を生んだと伝えられる。それに対して中国の宮廷は、蚕を国外に持ち出した者や、養蚕の過程を外国人に伝えた者は死刑に処すという厳しい勅令を出すことで絹を独占した。 それでも、東ローマ帝国皇帝のユスティニアヌス1世は、帝国の栄光を取り戻すために養蚕を試みようとした。皇帝は僧侶に命じ、竹筒に蚕の卵を隠して持ち出させたという。絹はエリート層のステータスシンボルとして垂涎の的となり、高い価値を持つ貴重な商品として、香辛料、宝石、武器のほか奴隷との交換にも頻繁に用いられた。 大英博物館で開催されている「Silk Roads(シルクロード)」展は、絹を取り巻く複合的な歴史をたどる意欲的かつ画期的な展覧会だ。日本の平城京から始まる展示は、砂漠や山岳地帯、豊かな森林から海洋へと見学者を誘い、絹をめぐる物語と、商人たちが絹を世界のあらゆる地域に広めた経緯を解き明かしている。