釈迦に挑むデーヴァダッタの嫉妬、憎悪から仏教を読み解く(レビュー)
イスカリオテのユダを、イエスの真意を唯一解した最高の弟子とする異端・グノーシスの教えがある。ユダの裏切りがなければ、イエスは磔刑に処せられず、その命をもって人類を贖うこともできなかったからだ。 本書で描かれるデーヴァダッタもまた、釈迦が教えを完遂するためになくてはならない役目を果たす。 一般には、釈迦の近親者として教団内で特別な扱いを受けながら、大勢の弟子を引き連れて教団を割り、最大の「仏敵」となったとされるデーヴァだが、本書では精彩ある主役を演ずる。それは、本書が書こうとしているのがデーヴァ一個人というより、仏教の本質そのものだからだ。その意味で、デーヴァは作者によってもある役割を演じさせられている。 ただもちろん、タイトルロールがただの操り人形ということはない。デーヴァは彼なりに持てる知恵と力を尽くして釈迦に挑む。ここがグノーシス的ユダと異なるところだ。ユダはイエスから与えられた使命を愚直に遂行するだけだが、デーヴァの行動原理は釈迦に対する嫉妬と憎悪であり、どうすれば釈迦を傷つけられるのか、策を練りつづける。 密かに悪意の熱を滾らせるデーヴァに対して、釈迦はつねに冷たく悟り澄ましている。すべては空であると悟りつつ、しかしその境地に至らない人々をどう導くかということだけが唯一の悩みだと言ってよい。 ここで衆生を救うために生み出されたのが、釈迦の口から語られる「物語」であり、デーヴァはいわばその物語の共作者にして共演者となる。 作者は、大乗思想など、後に生まれたとされる教えも釈迦自身の口から語らせている。それは仏教の教えのすべての種は、既に釈迦の言葉の中にあったと考えるからだ。悟り澄ました釈迦の目には何もかもがお見通しだったかもしれない。それを知りつつもなお敵対しつづけるデーヴァの織り成す物語は、衆生たるわれわれの物語でもある。 [レビュアー]伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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