地動説を知った17世紀の科学者たちが考える地球外生命体とは?
神の仕業
地球以外にも生命がいるかどうかという議論は、当時の近代科学が神の自然界における業というところに焦点を当てていたこともあり、結論には至らないままでした。これについては17世紀後半に地球外の世界について書かれた最も影響力のあった作品、コペルニクス主義者のベルナール・フォントネルの『世界の複数性についての対話』(1686年)で詳しく述べられているテーマです。 フォントネルによると、宇宙には無限の惑星と無限の居住可能な世界が存在しているとのこと。これはコペルニクス主義の結果として、地球と他の世界の性質の間に引かれた類推から導かれた答えだったようです。 しかしまた、万物の源泉である神の豊かさという考えの結果でもありました。フォントネルが宣言したように、「自然が作品の中で用いるべき無限の多様性」というアイデアがこの本を軸となっています。
アダムの子孫
しかし重大な問題がありました。もし月や惑星に知的生命体がいるとしたら、その生命体は「人間」なのでしょうか? そして、もし人間なら地球人のようにイエス・キリストの業によって救済されたということでしょうか? 17世紀の新しい科学の創始者の一人、ジョン・ウィルキンス(1614~1672)は、コペルニクスの宇宙の神学的含意と格闘した人です。ウィルキンスは月に住民がいると確信していましたが、月の住民が「アダムの子孫」かどうかについては全く確信が持てないようでした。
わからないことを解決する簡単な方法はコレ
ウィルキンスの解決策は単純で、月の住民たちの人間性を否定することでした。1638年に出版した『The Discovery of a World in the Moone 』の中で、月の住民たちは 私たち人間と同じではなく、私たちの性質にある種の割合と類似性を持つ別の種類の生物である。 と書いています。 結局、フォントネルもこの解決策で落ち着いています。月にアダムの子孫ではない人間が住んでいたとしたら、それは「神学的に大きな困惑を引き起こすだろう」とは宣言。フォントネルは、「おそらく人間ではない」住民の存在を主張したかっただけだと書いています。 人間そっくりの宇宙人の存在は、イエス・キリストの生涯、死、そして復活による全人類の救済というキリスト教の物語の信憑性を脅かす可能性があったのです。 なので、宇宙人の人間性を否定することが簡単な解決策だったというわけです。このように、宇宙人が私たちと違うという現代の考え方は、神学的な問題への解決策として生まれたのです。地球外に住む生命は文字通り、そして比喩的にも「エイリアン(異人)」で落ち着きました。こうして、エイリアンは脅威的であり、恐れられる存在となったのです。