B29、防空壕、食料難……東海林のり子さんの戦争体験、兵士を励ました「歌」 #戦争の記憶
一本の電話からつながったリポーター人生
中学校時代は、担任の体育教師から勧められてバレーボールに打ち込んだ。水泳では、当時の50メートル自由型で埼玉県記録を更新した。浦和第一女子高時代は、1年生のときはボート部、その後は長唄クラブに入る。 その後、立教大学に進学し、ESS(英語サークル)で英語劇に励んだ。大学時代のエポックは、1学年下で後に親友となる女優の故・野際陽子と出会ったことだ。 「彼女の美貌はそのころから際立っていました。言い寄ってくる男たちをさばくのが私の役回りだったけど、楽しい4年間でしたね」 その友情は、野際が2017年に亡くなるまで続いた。歌、芸事、演劇、スポーツなど幅広くいそしんだのり子の真っすぐさは、その後のリポーター活動の素地になる。
大学卒業後、開局したばかりのニッポン放送に入社するが、14年目で出産育児を機会に退社する。その後、フジテレビの「小川宏ショー」などを経て、「3時のあなた」で本格的にリポーターとして活動を始めた。東海林のり子といえば芸能のイメージが強いかもしれないが、彼女の本領は事件・事故の分野で発揮された。 のり子にとって、忘れられない事件現場がある。ある日、子どもを公園で遊ばせて家に帰ると、局から電話がかかってきた。 「お子さんが殺された事件があって、遺体が保護者宅に戻ってくる。その現場に行けますかって言われて、子どもを近所の奥さんに預けて向かったの」 遺体を待ち受ける父親にマイクを向けてインタビューする仕事だった。遺族へのインタビューは初めてだった。それが言い訳にならないことは百も承知だったが、正面からマイクを相手に向けられなかった。いつの間にか、足元に向けてマイクを握っていた。スイッチが入っていたので、かろうじて声を拾っていた。 「考えてみたら、偶然のつながりなんです。ディレクターから『マイク向けてないのによく声が録れましたね』と言われて、それがきっかけで森光子さんが総合司会をする番組(「3時のあなた」)に呼ばれ、事件取材が多くなったのです」 取材を続けていくうちに、現場をほかの人に任せたくないと思うようになったという。 「幸いというか、みんな事件・事故はやりたがらなくて、東海林さんがいいんじゃないと言われるようになって。戦争体験とはぜんぜん違うんですが、身につく体験でした。大きな事件や事故の取材を素通りするのではなくて、深く体験したことで、自分の柱になっていったのだと思います」