B29、防空壕、食料難……東海林のり子さんの戦争体験、兵士を励ました「歌」 #戦争の記憶
今は読書とロックに熱中
夫と死別した2018年から一人暮らしをしている。「寂しくないかって聞かれるけど、自由を楽しんでいます」と言いながら、『流浪の月』(東京創元社)といった最近の話題書を読んでいることや、ネットで読み切れないほどの文庫本を買いあさっていること、あるいは、いろいろなドキュメンタリー番組を見ていることを披露する。「やりたいことがいっぱいあるから、毎日が楽しくて楽しくて」。 盛夏のこの7月、のり子は日比谷野外大音楽堂(東京都千代田区)まで足を延ばした。 「ラルクアンシエル(L'Arc-en-Ciel)のベースの子のワンマンショーだったの。お手紙をもらったので行ってあげる、と」 7月末のGLAYのコンサートも招かれていたが、炎暑を考慮して取りやめた。彼女のもうひとつの顔は熱狂的なロックファン。X(現X JAPAN)の追っかけから始まったロッキンママぶりは、いまも健在だ。
人は歴史から学んでいない
今年2月、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。日本からの距離は遠いものの、リアルタイムで戦争の映像が伝えられると、一気に戦争との距離は近くなる。そこにいる人たちの苦しさを自分のことのように感じる。臨場感にあふれた映像や音声が、想像力に働きかけるからだ。 最近、のり子は少女のころを思い起こす。小学生のとき、手の届くような距離で巨大なB29を見ていた。一帯を焼き尽くす焼夷弾を落としていた。小さいころの話だから、いまとなっては夢のような感覚でもあるが、夢ではない。もちろん、ウクライナ侵攻も現実だ。他人事でも絵空事でもなく、自分の想像力で戦争の恐ろしさを身に染み込ませて考える――のり子は、そんな思いでウクライナの戦争を見ている。 珍しく、のり子が嘆いた。 「こんなに長く続くとは思わなかった。誰か頭のいい人が戦争を止めてくれると思っていました。家族が銃撃されて、そのコメントを見たり聞いたりするような光景はもういいです」 そして、こう続けた。 「人間っていったい何なのだろう、どんな存在なんだろう。広島や長崎で被爆した人が、命がけでしゃべっても、届かない人にはぜったい届かないのだろうと思ってしまう。人類って、あまり優秀じゃないのかもしれない……」 それでも、好奇心にあふれた気立てのいい元少女は、悲観しているわけではない。身に染み込んだ体験を細々とでも話し続けたいという。 「これからもずっと挑戦ですね。色々なことにチャレンジしたい。いくつまで生きられるかな。100歳は目指しているんですけどね」 …… 東海林のり子(しょうじ・のりこ) 1934年、浦和市生まれ。立教大学文学部卒業後の57年、ニッポン放送にアナウンサーとして入社。70年に退社し、フジテレビ「小川宏ショー」「3時のあなた」「おはよう!ナイスデイ」などのリポーター・ナレーターとして活躍。「ロックの母(ロッキンママ)」の異名を持つ熱狂的バンドファンとしても知られる。94年度日本女性放送者懇談会賞受賞