渋沢栄一&津田梅子&北里柴三郎の新紙幣「へ~っ」と言っちゃう雑学
「渋沢といえば、農民の身分から努力で成り上がった人物として有名です。一般的には、叩き上げのイメージがあると思います。しかし、この理解は正確ではありません。 実は彼は、生まれの身分は農民で武士ではないんですが、実家が現在の埼玉県深谷市で超裕福な農家・商家だった。だから、成功するための基盤が最初から整っていたんです。"親ガチャ"に当たってるというか。 しかも、それに加えて運もすごくいい。彼は将来最後の将軍になる一橋慶喜の直接の部下になり、武士身分になれたんです。こんなの日本一の"配属ガチャ"でしょう。彼は努力家でもありますが、非常にラッキーな人なんです」 へ~っ。こうやって話を聞いていると、渋沢栄一のイメージが変わりますね。 ■津田梅子は怒ったら超怖い先生!? 次に、5000円札の津田梅子はどうですか? 「彼女は7歳のときにアメリカに留学して、18歳のときに日本に戻ってきます。女性で中等教育を受けた、つまり中学校と高校を出たのは当時の日本人女性では初めて。それに飽き足らず、彼女は大学に留学するため再度アメリカに渡り、現地で高等教育も受けています。 さらに、アメリカでは教育学に加えて生物学を専攻。文理をまたいだハイブリッド型の人物だといえます。それで、再びアメリカから日本に帰ってきて、日本で女性教育があまりにも進んでいないことを嘆き、自ら女子英学塾(後の津田塾大学)を設立します」 2度も留学しているのですね。津田梅子は先生として教壇に立っていたと思うのですが、先生としての評判は? 「教育者と聞くと、優しい穏やかな先生というイメージが浮かびますよね。でも実は、彼女は怒るとめちゃくちゃ怖い先生として生徒に恐れられていたんですよ。英語の授業中に生徒の発音が少しでも間違っていたら、机をバンバン叩き、声を出して叱るなど、昔ならではの教育をしていました。 ただ、彼女の人柄をよく表しているのが、授業中は厳しくても、ほかの部分では生徒に親身に寄り添う優しい先生になること。自分が受け持った生徒は就職を含め最後まで責任を持つ非常に面倒見のいい先生だったんです」 授業中は厳しいけど普段は優しい。理想の先生ですね。 ■野口英世の師匠なのになぜ後から肖像に? 1000円札の北里柴三郎はどんな人物でしたか? 「北里柴三郎は海外で大活躍した日本人です。彼はドイツの有名な細菌学者コッホの研究所で働いています。北里はその研究所で誰よりも勤勉に働いて、現地の人に『この日本人にはかなわない』と言わせたという逸話もあります」