ストロングスタイルを目指したこのまま市川(ストーカー市川)が棚橋弘至と引退試合を行い26年のプロレスラー人生に幕!
マイクを取った棚橋は「市川さん、26年間お疲れ様でした。僕と市川さんは同じ岐阜県の出身で、『岐阜出身のレスラーがいるな、変わってんな、おもしれーな』と思ってました。僕がデビューして25年、市川さんがデビューして26年。こうしてリングで出会えた奇跡に感謝しています。市川さん、26年間プロレスを盛り上げてくれてありがとうございました!これからも続いていく後輩たちの活躍に是非力を貸してやってください。市川さん、本当にお疲れさまでした!」と深々と一礼。ドラゲーファンは棚橋に大歓声を贈った。 続いて引退セレモニーが行われ、選手を代表して花束を贈呈したウルティモ校長は「市川、相変わらず面白いなお前な(笑)実はお前がデビューして、お前の試合を見るのが結構楽しみだったんだよ俺(笑)お前が俺んとこに入門してメキシコに来たときのことを思い出すとな、体弱いのにいつまで経っても辞めない。ずーっと道場にいるのに気付いたとき『あっ、あの子まだいるんだ』『どうしようかな、辞めさせるわけにはいかないな』と思って。ある日市川を呼んで『君は将来どういうレスラーを目指してるんだ?』って聞いたとき、お前なんて言った?」と問いかける。 市川がしどろもどろになりながら「アントニオ猪木さんや藤原喜明さんのように黒いショートパンツで派手な技は無いけど粘り強くやって……」と語り始めると、校長は「お前“なんとかスタイル”って言ってたよな?」と追及。市川は「ストロングスタイルです!」とわざわざメキシコの闘龍門に入門してストロングスタイルを追究していたことを白状させられる。 それでも校長は26年間お笑いキャラを貫いて一時代を築いた市川を称え、「市川!お前こそが本物の男だ!俺は『お疲れさん』とは言いたくない!市川、ありがとうッ!」と賛辞を贈った。 最後にマイクを託された市川は「僕も1人では26年間も頑張れなかったです。だけど、周りの人たちがいて、校長もいて、支えてくれるファンの皆様があったから僕はやって来れました。どうもありがとうございました!僕はレスラーを引退しますけど、市川寛二として皆さんとまたお会いすることもあると思います。そのときは笑顔で楽しくお会いしましょう!26年間、どうもありがとうございました!」と涙のマイク。