『ネコ全史』はなぜそんなに愛されたのか 訳者 矢能千秋さん
そもそも『ネコ全史』の翻訳を矢能さんが手掛けることになったきっかけはなんだったのですか? 私はもともと鉄道会社の英訳の仕事を10年ほどしていました。そろそろ海外の著作物を日本で出版するために翻訳する、いわゆる出版翻訳の仕事をしたいと思い、勉強をしていました。出版翻訳の仕事は鉄道の図鑑のゲラ読みをお手伝いさせていただいたのが最初です。それがきっかけで、2015年に河出書房新社の『世界のミツバチ・ハナバチ百科図鑑』(ノア・ウィルソン=リッチ著)をベテランの翻訳者の方2人と一緒にやらせていただきました。英語名があって学名があって、和名がなかなか見つからなかったり、ハチだけでなく植物の名前もさっぱり分からなかったりと大変だったのですが、これをやったおかげで、生き物関係の翻訳ものの依頼が来るようになりました。 2020年にハヤカワ・ジュニア・サイエンスから『きみがまだ知らないティラノサウルス』(ベン・ギャロッド著)、続いて同シリーズのトリケラトプス、ステゴサウルスの児童書を翻訳。この恐竜シリーズは国立科学博物館の真鍋真先生が監修してくださり、系統樹から分類までくわしく載っています。このときにずいぶんと細かく見ていただいたことが役立ちました。 何となく生き物関係の翻訳が増えていき、ナショナル ジオグラフィックの索引のお手伝いを2冊ほどさせていただきました。索引を作るときは、英語の本文と索引を見ながら、ゲラ(校正)刷り状態の和訳の該当箇所を探します。それをExcelにして、ABC順になっているものを、あいうえお順に並べ替えます。手間はかかるのですが、英語版と日本語版の両方を見させていただくことで、これは私には訳せないなと感じたり、こういうふうに訳すんだと学んだり、ボキャブラリーのインプットにもなりました。 索引の仕事をしている際に、専門を聞かれて、訳書リストをお渡ししたところ、ネコのムック本があるけれどやらないかと声をかけていただいたのです。 『ネコ全史』で特に読者に読んでほしいパートや、矢能さんのお気に入りの情報はありますか? 最初から最後まで面白かったので選ぶのが難しいですが、私はネコの祖先の話が好きです。最初に家畜化されたネコはどの子だったのか、そして私たち人間と一緒にネコがどのように移動して世界制覇に至ったのかなどは、ネコ好きな方でもご存じないのではないでしょうか。 例えば約4000年前の古代エジプトでは、ネコは神聖な存在だったということは知っていたとしても、実はネコが人間と一緒に暮らし始めたのはもっと遡って9500年前になるんだよとか、そういうところも、きっと楽しんでいただけると思います。 ネコの祖先から始まり、現在から未来まで、理系の人も読み応えがある科学的情報や、文系の人にも楽しい読み物がコンパクトに100ページに詰まっています。 ネコはどうして箱があると入りたがるのか、ネコは生涯に子どもを何匹産めるのか、なぜ錆びネコは態度がでかいのかなど、ぱらぱらっとめくってタイトルやコラムを拾い読みするのもよし、前から時系列に読むのもよし。でもやはり最初から読んだほうが面白いと思います。 日本語で書かれたネコの本とは視点が違うところも興味深い点です。放し飼いネコや野良ネコの捕食活動による生態系への影響を指摘。その一方で、ネコ用砂トイレが発明され、避妊/去勢措置と室内飼いが一般的になったことで、ネコの独立性を奪う形になっていることも考えようよという問題提起があったりします。(次回へ続く) 取材・文/中城邦子、構成/市川史樹(日経BOOKプラス編集部)、写真/山本琢磨