二大政党制にこだわるよりも……“古いスマホで新しいアプリ”使う私たち
「政党」と「メディア」の進化は十分進まず
しかし、誤算がありました。選挙制度の変更に合わせて、政党、メディアも進化するという期待が持たれたのですが、そうはならなかったのです。 政党には、利益の代表や誘導とならない仕組みとして、シンクタンク的機能が期待され、実際に初期の民主党には政党シンクタンクが別法人として設置されました。2005~2009年に存在した「プラトン」がそれです。しかし有力議員が選挙を重視し政党の考える機能を軽視したことで縮小の憂き目に遭い、今はありません。 メディアについては、新聞でもテレビでも、ネットメディアでさえも、記事や番組では情報の一部しか切り取れず、包括的な理解を促すユーザー体験を未だに提供できないことなどが挙げられます。例えば、前代表の小池氏の「排除」発言をはじめとする民進党の分裂劇ばかりがクローズアップされたのに比べて、社会保障をはじめ今後など日本が抱える課題をめぐる政策的な議論は乏しかったと言わざるを得ません。 政治学者からは、政党と有権者を結ぶ鎹(かすがい)として、「マニフェスト」という概念が提唱され、ある程度広まりましたが、このマニフェストは、分析と検証の仕組みがあってこそ真価を発揮するものです。現状、メディアも政党もこうした公約への取り組みや達成具合にはあまり注意を払っておらず、マニフェストを基盤とした政党と国民のコミュニケーションは後退しつつあるように見えます。 二大政党制を見越して用意された選挙制度ですが、現実は、二大政党制に対応する環境が整備されないまま20年が過ぎました。そして二大政党制の先進国である米国や英国では、二大政党が国民の意思を受け止められなくなっています。 二大政党制はただの手段です。国や社会のあり方について、そしてそのやり方や順番についての選択肢のパッケージに過ぎません。そこに思想や主義が入り込むことで、政党は容易に大企業病や官僚主義に陥り、制度は機能不全に陥ります。