「昭和の男だった父亡き後、母は自由になった」倉田真由美さんが両親を見て改めて提言する「自分のために生きる人生の大切さ」
倉田真由美さんの父親は3年前に他界。現在、母親はひとり暮らしをしている。叶井俊太郎さん(享年56)と結婚し、夫婦関係を築いてきた今、改めて母と父の関係性を振り返り、モヤモヤモヤすることがあるという。 【画像】石畳の道を歩く叶井俊太郎さん。「私に構わず好きに生きている、後ろ姿のイメージが強い」と倉田真由美さん
執筆・イラスト/倉田真由美さん
漫画家。2児の母。“くらたま”の愛称で多くのメディアでコメンテーターとしても活躍中。一橋大学卒業後『だめんず・うぉ~か~』で脚光を浴び、多くの雑誌やメディアで漫画やエッセイを手がける。お笑い芸人マッハスピード豪速球のさかまきさん原作の介護がテーマの漫画『お尻ふきます!!』(KADOKAWA)ほか著書多数。 夫の叶井俊太郎さんとのエピソードを描いたコミック『夫のすい臓がんが判明するまで: すい臓がんになった夫との暮らし Kindle版』 『夫の日常 食べ物編【1】: すい臓がんになった夫との暮らし』は現在Amazonで無料で公開中。
亡くなった父は「昭和の男」
一昨年他界した私の父は、いわゆる「昭和の男」でした。 「俺の飯は」 これ、子供の頃から何度聞いたかわかりません。食事内容にはまったくうるさくない人だったけど、ともかくご飯は母に用意して欲しい人。もちろん食事だけではなく、基本的にどこへ行くにも何をするにも母頼りな人でした。 それでも現役で働いている時は父は昼間家にいないので、母には自由な自分だけの時間がありました。内向的で人嫌いな父とは違い、母は社交的で友だち付き合いが大好き。子育てや家事などの合間に、たまに習い事をしたり近所の奥さんたちとお茶を飲んだり隙間時間を有効活用していました。 しかし父が定年退職してからは事情が変わってきました。四六時中父が家にいて、母から離れないからです。 「買い物もゆっくりできんのよ」 母は、よく嘆息して言いました。友だち付き合いも、ご近所であってもなかなか簡単に時間を作れません。他県に住んでいた母の母、私の祖母が倒れた時も本当は母はもっと顔を見に行きたかったはずです。 母は、自分の母親が大好きでしたから。でも、父が渋るために叶いませんでした。祖母が亡くなった時、母は心残りがあったと思います。