さらば森田、河合郁人も太鼓判! 元Hanjiroスタッフが手掛ける古着の聖地"レトロブティックことり "
岩手県・盛岡市にある『レトロブティックことり』は、元Hanjiro(ハンジロー)スタッフの高山さんが手掛ける古着屋兼カルチャーショップだ。 アメリカンカジュアルをベースとした品揃えと、高山さん自身の貴重なコレクションが溢れる店内には、10代から50代までの老若男女、特に30代から50代の男性客がメインに訪れている。 お笑いコンビ・さらば青春の光の森田哲矢のYouTubeで紹介されて以来、多くの古着愛好家である芸人たちも足を運ぶ人気店となっている。 以前の取材ではハンジロー時代のエピソードを中心に語っていただいたが、今回は古着ファンの間で注目を集める『レトロブティックことり』について、その魅力を詳しく伺った。
週5で古着屋通いの高山さんが『レトロブティックことり』をオープンするまで
高山さんはハンジロースタッフとして長年勤務していたが、ハンジローとの出会いも高校生の頃からだという。 「僕が高校2年生のときに、母親からビッグジョンのフレアベルボトムジーンズをお下がりでもらって、そこから古着に目覚めました。 当時は、ハンジローの前身である『ファクトリー』というお店に学校帰りには必ず立ち寄って、どっぷりと古着にはまりました。もう週4、5ぐらいで通い詰めていましたし、『Boon』も愛読していました」 高校を卒業した後、高山さんはすぐに古着屋に勤めることはなく、自衛隊員として2年間入隊。任期満了後、兼ねて通っていた古着屋『デプラスモン(旧ファクトリー)』のスカウトを受け、高山さんの古着屋人生がスタートした。 のちに『デプラスモン』は、『ハンジロー』に改名して東京に進出。 東京に進出すると、ハンジローは瞬く間に人気の古着屋として、全国展開するほどの人気ショップとなった。 今でも皆の記憶に残っているハンジローだが、現在の『レトロブティックことり』のビジョンは、ハンジロー時代から思い描いていたのだろうか。 「ハンジローには17年ほど勤めていました。いつかは自分の店を持ちたいという思いはありましたが、具体的な独立のビジョンまでは描いていませんでした。早くに結婚もしていたので、このままずっとハンジローで働き続けるのだろうと漠然と考えていました。 しかし、景気の悪化でハンジローが閉店することになり、さまざまな出来事が重なったことが独立のきっかけとなりました」 その後、ハンジローは『ドンドンダウン オン ウェンズデイ』に買収され、高山さんも一時期そこで勤務することになった。