どっちのほうが「立場が上」なのか…「大学の教授」と「職員」の知られざる関係性を元専任職員が解説
私立大学の専任職員だった倉部史記氏と若林杏樹氏が、自身の体験や分析をもとにして大学職員という職業の知られざる真実について解説している最新書籍『大学職員のリアル』(中央公論新社)が発売中だ。 【秘蔵画像】高級ホテルでバカンス!福原愛 目のやり場に困る「美ボディ艶やか水着姿」 今回はそんな話題の一冊の内容を一部抜粋、再編集してお届けする(表現や表記は書籍に準拠しています)。 ◆元大学職員の倉部氏が語る! 教員との「ちょっと不思議な関係性」 大学での教員と職員の関係については、しばしば話題に上ります。どこまでが両者の業務領域なのか、やはり教員の立場のほうが「上」なのか、「教職協働が大切」とは言うが実際はどうなのか、等々。 教員は学問の専門家であり、一般的には社会的ステータスが高いとされる仕事です。すごい人、賢い人、偉い人といったイメージを抱かれると同時に、もしかすると「ちょっと変わった方々」なんて色眼鏡で見られがちかもしれません。 そんな大学の先生と一緒に働くのだからいろいろと気苦労があるのではないか、あるいは面白い体験ができるのではないか、などと想像される方もいるようです。 人となりは本当に十人十色ですので、一概にどうとは言えませんが、個性的な教員ももちろん中にはいるでしょう。それを「研究者って面白い人たちだなぁ」と思える方は職員に向いているのではと思います。それよりも教員と職員、それぞれがどのような組織の中で動いているのか理解しておくことのほうがまずは大切です。 同じ法人に所属していても、教員と職員、それぞれのガバナンスは大きく異なります。職員は基本的に、理事長をトップとするピラミッド型組織の構成員と言えます。事務部門のまとめ役は事務局長で、その下にさまざまな部局があり、部長、課長、係長といった職階が存在する、企業とそう変わらない意思決定の仕組みで動いています。 一方、教員にはこのような上下関係が存在しません。学長、副学長、学部長、学科長といったポストはありますが、こうしたポストは数年おきに交代するのが一般的です。 たとえば学科長の役目を他に譲ったからといって、それを「降格」とは誰も思いません。学科長はその学科の教員を代表し、取りまとめ役となる存在ですが、別に教員たちの人事権を握っていたり、業務上の指示や命令を上から下せたりするような立場でもありません。上からの指示命令系統はあるように見えても、それほど強くはないのです。 こうした教員のガバナンスを、個人商店主で構成される町内会のようだと喩(たと)えた言い方があります。町内会の会長は、町内会全体の活性化を進める上で大事な取りまとめ役ですが、その会長が「絶対に全員がこうすべきだ」と考える内容でも、それをほかの商店主たちに強制する権限はないという意味です。 こうした2種類のガバナンスが共存し、学生のために協働しているのが大学という組織のユニークな点です。構成員を動かす指示系統が異なるのですから、ときに軋轢(あつれき)やすれ違いが生じることもあります。 「〇〇先生が高圧的に職員に命令をする」 「〇〇先生は組織の仕組みを無視して動いている」 といったぼやきが職員から聞こえることもあれば、逆に、 「事務局の対応にやる気や意欲が感じられない」 「この手続きは本当に必要なのか。書類ばかり書かされ、研究や教育の時間がとれない」 といった不満が教員から漏れてくることもしばしば。両者の言い分にそれぞれもっともな部分もありますし、仕方のないところもあります。大学設置基準にもあったように、教員と職員は歩調を合わせてうまくお互いの領域で力を発揮し合い、学生のために協働することが大切です。 ◆職員と教員の業務の垣根が「競争力の遅れ」を生んでいる? 業務の垣根も法人によって千差万別です。教員は大学の高度な教育や研究に従事し、職員は大学の運営業務や教育研究の支援に携わるという基本的な役割分担は、どの大学でも同じはず。 ですが運営には重要な審議事項や決定事項をはじめ、伝統的に教員が担っている領域が多々あります。その範囲がどこまでかは、法人によってさまざまです。 かつて学校教育法には「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない」という条文が存在しました。 ’15年の法改正により、教授会の役割は以前に比べてかなり限定的な記述になったのですが、学問の自由や大学の自治といった観点もあり、重要なことについてはやはり教員の意見を聞くべきだ……という意見は各所で目にします。 その是非については意見が分かれています。本記事ではこの点についてこれ以上は論じませんが、職員にとっても重要な議論であることは確かでしょう。 ただ教育でも研究でも、教員にかかる負担は年々増大しつつあります。組織運営のための会議や雑務に追われ、十分な研究時間を確保できないと悩む声もいたるところで耳にします。 こうした積み重ねによって、我が国の研究環境が国際的な競争に後れを取っているという指摘もあります。その点で、必ずしも教員が自ら担わなくて良い業務領域や、教員の教育研究を支援する領域に職員が進出していくことは大事ではないか、と個人的には思います。 フローレンス・ナイチンゲールは、「病気ではなく、病人をみる」という言葉を残しました。これは近代看護の基礎を成す言葉として、現在も多くの看護師たちに受け継がれています。医師はその役割上、どうしても病気そのものの原因や治療法に注意を向けがち。だからこそ看護師は「人」を看ることを大切にせねばならないという教えです。 医療の現場では看護師や薬剤師、理学/作業療法士、管理栄養士といった医療職よりも医師のほうが立場的に偉いと見なす空気がまだあるかもしれません。ですが役割としては、それぞれが得意な方法で、重要な役割をお互いに担い合っているだけなのです。 大学の教職員も同じです。大学教員の強みの中核が「学問を扱う専門家」であるのなら、職員は学生や保護者、高校生といったステークホルダーに向き合う専門家や、組織全体の最適化を担う専門家として、教員と協働していけば良いのではと私は思います。 職員が担うべき領域で大活躍されている教員も大勢いますが、少なくとも職員は、そうした教員に甘えてばかりではいられないでしょう。 取材・文:倉部史記
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