異色の経歴を持つ俳優・宮田佳典。看護師として10年…手塚治虫さんの言葉をきっかけに転身「夢はいくつあってもいい」
※宮田佳典(みやた・よしのり)プロフィル
1986年9月22日生まれ。大阪府出身。2017年、劇団柿喰う客に入団。映画『千夜、一夜』(久保田直監督)、映画『ケイコ 目を澄ませて』(三宅唱監督)、映画『春に散る』(瀬々敬久監督)、映画『悪は存在しない』、『全裸監督 シーズン2』(Netflix)、『やっぱりおしい刑事』(NHK)、『ボイスII 110緊急指令室』(日本テレビ系)などに出演。文化庁委託事業「ndjc(New Directions in Japanese Cinema):若手映画作家育成プロジェクト」映画『サボテンと海底』(藤本楓監督)に主演。企画から立ち上げ、2024年9月27日(金)に公開される映画『SUPER HAPPY FOREVER』は、第81回ベネチア国際映画祭のベニス・デイズ部門で、現地時間8月28日にオープニング作品として上映される。
模索しながらの日々
2012年、宮田さんは、俳優になるために大阪から上京。最初の半年間は常勤で病院勤務していたという。 「救急でドクターヘリに乗りたいってずっと思っていたんですけど、半年ぐらい経ったときに辞めて本格的に役者を目指すことにしました。それから本を読み漁って、からだを作りはじめました。それで、週3くらいでワークショップに通って…4年間ぐらいずっとそんな感じでした。 いろいろな監督のワークショップにも行ったし、知らないなりに飲み会とか、そういうのにもあの時代はよく行ったりしていました。どうにか繋がりを求めてしていたという感じで。技術みたいなものも知識も何もない状態だったので、それをどうカバーするのかということをすごく考えていました」 ――生活はどのように? 「夜勤で救急のアルバイトをしていたので、それで何とか生活を保っていたという感じです」 ――すごい決断でしたね。ツテがあったわけでもなく。 「そうですね。ありませんでした。事務所にも入れていなかったので、オーディション情報もほぼ入ってこなかったです」 ――くじけそうになりませんでした? 「なりましたね。でも、自分の実力が足りないということはわかっていたので、すぐに芽が出るわけがないとも思っていました。ワークショップに行っているときに、『役者は20年で芽が出ることもある』みたいなことを言ってもらったりしていたので、『20年か。僕はまだ4、5年か』って。 看護師も専門学校に3年行ってプロの看護師になる。スポーツも基礎を学んでうまくなっていく。僕は役者もそうじゃないかなと思っていて。 世界には、とくに海外にはたくさんの演劇学校があるじゃないですか。学校があるということは、役者も基礎を学ぶ必要があるということで。そういうのは看護師の経験がちょっと活きていると思いましたね」 ――約5年間はそういう状態で模索しながら…という感じですか? 「はい。ご縁で当時の事務所にも所属させていただき、いろいろなオーディションを受けて少しずつですが、テレビや映画に出演する機会をもらいました。それと同時に舞台の経験も必要だと考えていたので、劇団柿喰う客のオーディションを受けたらたまたま受かって」 ――2017年に劇団と事務所に入って、すぐに映画『あゝ、荒野』(岸善幸監督)に出演されて。 「はい。実は高校時代からボクシングはずっとやっていました。映画『あゝ、荒野』の現場で役者兼、ボクシング指導をされている松浦慎一郎さんと出会って、そこからのご縁でボクシングが題材の作品にお声がけいただくようになりました」