『光る君へ』藤原道長が亡くなった後の平安時代、紫式部、源倫子、藤原彰子、清少納言、藤原隆家、藤原実資のその後
大河ドラマ『光る君へ』も、最終回「物語の先に」を迎えた。藤原道長はこの世を去り、紫式部は再び旅立ったが、その後、紫式部や登場人物たちはどうなったのだろうか。 文=鷹橋 忍 【写真】菅原孝標女の更級日記の御物本(藤原定家筆)の複製で、定家晩年のもの ■ 紫式部は何歳まで生きた? 道長は万寿4年(1027)12月4日、62歳で、この世を去った。 この時、紫式部が存命であったかどうかはわからない。 秋山竜次が演じる藤原実資の日記『小右記』長和2年(1013)5月25日条では、実資が以前から越後守為時女(紫式部のこと)を取次役として、見上愛が演じる彰子に雑事を啓上させていたことが記されている。 故に、この時までは彰子に仕えていたことは確かとされ、『小右記』寛仁3年(1019)5月19日、8月11日、寛仁4年(1020)9月11日、12月30日に登場する「女房」も、紫式部とみる説もあるが、定かでない(服藤早苗 東海林亜矢子『紫式部を創った王朝人たち――家族、主・同僚、ライバル』所収 河添房江「第一章 紫式部――その人生と文学」)。 『小右記』にはこの他にも、万寿4年12月17日条まで、実資の取次の女房が見える。 もし、この女房が紫式部だとすると、道長が亡くなった時、彼女は存命だったことになる。 紫式部の没年は明らかではなく、長和3年(1014)説、長和5年(1016)説、寛仁3年(1019)説など、道長よりも早く亡くなったとする説もあるが、長元4年(1031)正月中旬に没したと推断する説も存在する(角田文衞『紫式部伝――その生涯と『源氏物語』――』)。 紫式部の生年には諸説があるが、仮に天延元年(973)説で計算すると、長元4年は数えで59歳である。 ドラマの時代考証を務めた倉本一宏氏は、「万寿、長元年間まで存命で、宮廷に出仕していた可能性もあり得る」としている(倉本一宏『増補版 藤原道長の権力と欲望 紫式部の時代』)。 ドラマの紫式部も、旅を終えたら宮廷に出仕し、再び物語を綴るのかも知れない。 『光る君へ』紫式部の後半生、夫の死後『源氏物語』を書き始める、道長の娘・彰子への出仕、道長との関係は? |