「玉川徹氏」と「SNSインフルエンサー」の3つの共通点
野党気質
そして第3の野党気質。言うまでもなく、これが玉川氏の根強い人気を底支えしている特徴である。彼のコメントをそのまま流用したスポーツ新聞のコタツ記事には、多くのコメントが寄せられる。時に炎上に近い状況も起きる。特に安倍政権に対する厳しさは、波紋を呼び続けたといってもいい。これについて元スタッフは石戸氏の取材にこう答えている。 「玉川さんは権力を批判するほうが盛り上がるだろう、とよく語っていました。国と一緒のことを言うのではなく、その反対のことを堂々と言いたいのが玉川さんの気質です。あれだけ歩調を合わせているように見えた民主党も政権に就いたとたん、一転して堂々と批判していた」 「権力の監視がマスコミの使命」という前提に立てば当然のことだろう。しかしながらここには、「では反権力側ならば常に正しいのか」という疑問が常につきまとうこととなる。論理的な正しさの前にスタンスがあっていいのか、ということだ。
ポピュリストの持つ力
石戸氏はこう見ている。 「彼がテレビで語っていることは時の政権との相対的なポジションで決まる。政権が右と言えば左だと言い、左だと言えば右だと主張する。玉川はワイドショーの構造をよく知っている。視聴者に受けるのは、知的で論理的に正しいお行儀良いコメントではない。コメンテーターには感情を表現することが想像以上に求められる。テレビという感情を伝播するのにこれ以上ないメディアにおいて、現代に彼以上にこうした役をこなせる人はいない。感情を伝えるのもまた役割なのだ。(略) 常に野党的なポジションから、その場の感情を乗せて、言葉を発することができること。これが『(玉川氏の)生きたコメント』の正体である」 実のところ、論理よりも「反」という立場を重視する人はSNS上に溢れている。何らかの「アンチ」の姿勢を前面に出し過ぎる人たちの極端な物言いは、時に批判、時に嘲笑の対象ともなっていた。 石戸氏は玉川氏とSNSとの類似性を見いだしてこう語る。 「私にはこうした玉川の姿勢は単純なリベラル派というよりも、SNSでシェアが広がっていく人々の立ち居振る舞いに近いように見えてしまう。右派であれ、左派であれ彼らは相対的に適切なポジションを取りにいって、一定の論理的な裏付けに加えて、あるいはそれ以上に気持ちを乗せたコメントを語る。(略) 彼は『反~』との立場から言葉を発すること、論理や体系的な知識よりもその場の感情に執着する。そんな彼を何と呼ぶべきか。ぴたりとあてはまる呼び名がある。その意味において、玉川は時代を象徴するポピュリストタイプのメディア人と言えるように思う。(略)ポピュリズムは右派的主張とも、リベラル・左派的な主張とも矛盾なく結びつく」 同書で石戸氏が述べているように、玉川氏が自ら取材して事実にこだわるという立場からの発言を心がけていたのは事実。一方で、同業者ともいえるコメンテーターには、自ら取材するといった経験や専門知識を有さず、それこそネットやSNSで仕入れた情報をもとに私見を交えて発言をする者も珍しくない。その点を忘れてのSNS批判では、今ひとつ共感を集めないのも無理のない話なのかもしれない。
デイリー新潮編集部
新潮社