一人起業からわずか1年で急成長!製薬会社からの転身で金継ぎというサステナブルな伝統技術を継承
金継ぎ(きんつぎ)による壊れた器の修繕を請け負うほか、金継ぎ教室の運営などを行う「株式会社つぐつぐ」の代表取締役・俣野由季さん。カナダとドイツへの留学経験があるトリリンガルで、製薬会社に勤務しながらMBAを取得し、さらには35歳で自身の会社を起業。そんな一見華やかな経歴の裏には並々ならぬ努力に加え、多くの挫折や失敗の積み重ねがあった。 【もっと写真を見る】
割れたり、欠けたり、ヒビが入ったりした陶器を漆(うるし)で修繕し、その接着部分を金粉や銀粉などで装飾する金継ぎ(きんつぎ)。古くから日本に伝わる漆芸技法だが、近年は壊れてしまったものを美しくよみがえらせるというSDGsの観点からも注目を集めている。その金継ぎに出会ったことで、大きく人生を変えたのが「株式会社つぐつぐ」代表取締役の俣野由季さんだ。製薬会社勤務、留学、MBA取得などを経て、なぜ金継ぎの会社を起こすことになったのか。俣野さんのライフシフトにまつわるストーリーをお届けする。 〝誰かに評価されること〟を求める生き方をやめて、自らの会社を起こすことを決意 1984年に大阪で生まれた俣野さんは薬学部を卒業した後、製薬会社に就職。薬学部からの進路先としては、薬剤師か製薬会社の研究職、MR(営業)が主だが、「自分ががんばって出した成果の分だけ報酬が上がる、実力主義であるMRに惹かれた」という。 「仕事を通じて多くのやりがいや学びを得ましたが、働き始めた頃から英語の重要性を強く感じており。独学では限界を感じたため、キャリアアップのために思い切って、カナダへの留学を決意。さらに英語が強みになる時代ではないのでは?と考え、自分が学んできた薬学の背景を生かすためにドイツへも留学しました。また、MRではなく医師として患者を治せたらと考え、ドイツで医学部も受験しましたが合格にいたりませんでした」 カナダとドイツで5年間学び、2か国の言語を習得した俣野さんは帰国後、製薬会社への再就職を目指すことに。ところが、希望する企業からの内定を得られず、挫折を経験する。そこで、新薬開発に携わる仕事にシフトし、小規模ではあるが臨床研究受託の会社が彼女の英語力を評価し、ようやく職を得ることができた。 「特に抗がん剤は非常にニーズが高いため、最終的には治験のマネージャーとして英語を使って、国際的な血液がんの治験に携わるまでに。このような会社でのキャリアは非常にやりがいがあるものでしたが、再就職での挫折経験から、自分の実力を証明できるようにと思い、週末を利用してMBA(経営学修士)の取得を目指そうと。会社に勤めながら、カナダの名門校であるマギル大学の週末MBAコースへ進学。同大学の日本校で英語のみのプログラムに挑戦し、ビジネススキルを学びながら英語力と国際的な感覚をさらに磨きました」 会社員と学生という2足の草鞋を履きながら、忙しい日々を送る俣野さんに、その後の人生を変える転機が訪れる。それは彼女が33歳の時だった。 「ドイツ留学時代に購入して、大切に使っていたお皿をうっかり落としてしまったんです。とても思い入れのあるものだったのですが、そのまま使い続けるには抵抗があるほど、ヒビが入ってしまい。でも、どうしても捨てたくなかったので、ネットで〝器 修理〟などのキーワードで検索。そこで、金継ぎという技術に出会いました」 それまでは破損した器は泣く泣く捨てるしかないと考えていた俣野さんだが、金継ぎを知ったことで、「壊れても新しい価値を持たせて手元に残せる」という考え方に感銘を受けたという。また時を同じくして、MBAの講義で外国人の教授が金継ぎを紹介したことも、俣野さんと金継ぎの運命的な出会いに拍車をかけることとなった。 「その教授が日本の金継ぎに感銘を受けている姿を見て、むしろ海外の方が日本の素晴らしい伝統技術を理解しているのではないかと感じたんです。器を修理してまた使えるようにするだけでなく、壊れたものに新しい命を吹き込む金継ぎの哲学とその美しさは、私にとって非常に感動的なものでした。この技術を知らない人たちが金継ぎを通じて物を大切にし、捨てずに使い続けるという価値を知ってくれたら素敵だなぁと」 「もっと多くの人にこの素晴らしい技術を広めたいと」と感じた俣野さんは、金継ぎをテーマにした会社の経営計画書をMBAの卒業論文として作成することに。まずは金継ぎを学び、できるだけ早く技術を身につけるため、仕事と学業に加え週に2コマ教室に通った。 「さらに複数の金継ぎ教室に通うことで、教室や職人によって金継ぎのやり方が異なることに気づき。金継ぎは1つの方法に固定されているわけではなく、多様なアプローチや流派が存在する技術だということを知り、それがまたいっそう金継ぎの奥深さを感じさせてくれました」 教室で学んだことはその都度復習、繰り返し練習したほか、ブログにもまとめるなど、実践と学びを重ねながら、金継ぎの技術を習得していった俣野さん。しかしながら、MBAの卒業論文を作成しつつも、その時は金継ぎで起業をするつもりではなかったという。それどころか、起業目的でMBA取得を目指したわけでもなかった。 「でも、1年かけて卒業論文を完成させた頃、気づいたんです。MBAという大きな資格を取っても、どの会社からも自分の価値を十分に評価されないという現実に。会社員である限り、評価されるためには同僚やチームメンバーと競い合わなければなりません。それは、他人との比較の中でしか自分の価値が決まらないということ。それなら、これからの人生で他人と自分を比べる生き方はしたくないし、〝誰かに評価されること〟を求める生き方をやめようという思いにいたりました」 自分で会社を起こせば、自分のペースで、誰とも比較することなく、自分のやりたいことに集中できるのではないかと考えた俣野さん。ここで「起業をしよう」と心がシフトした。卒業論文内の経営計画書を作成する中で生まれた〝誰でも自宅で金継ぎが楽しめるキットを作れたら〟というアイデアをもとに、実際に「TSUGUKIT(つぐキット)」という商品を開発。まずはリスクを抑えながら副業という形で金継ぎの事業という、新しい挑戦に踏み出すことにした。その一番の理由として、起業に際して〝お金〟の面に不安を覚えたからだという。 「資金繰りがうまくいかなければ、事業が続けられないだけでなく、自分自身の生活もままならなくなる恐れも。安定した収入を確保しながら起業を目指す方法を模索した結果、副業禁止だった勤務先に金継ぎの事業を始めさせてほしいと人事に相談することに。最初は怒られるかもしれないと不安だったのですが、人事の方が『私も実は芸術的なことが好きなの』と、特別に許可してくださったんです。彼女はとても厳しい人という印象だったのですが、その温かさと理解が大きな支えとなりました。勇気を出して相談して本当によかったと思っています」 俣野さんが〝本業に影響を与えない範囲〟を条件に副業を認めてもらい、金銭的なリスクを抑えながら事業を始めたのは、コロナ禍で世界が混乱に陥る寸前のタイミグだった。多くの人から「今、起業するのは危険だ」と言われた彼女だったが、「逆に今しなかったらいつするの?」と、コロナに怯えることなく起業を決行した。 「私一人で起業した当初、事業規模は非常に小さなものでした。資本金として手元資金の300万円を用意しましたが、これは正直に言うとかっこをつけるためのもの(笑)。固定費を抑えるために、店舗を持つのではなく四ツ谷のワンルームアパートの自宅で「TSUGUKIT」を手作りし、通販を中心に運営を行っていました。会社の登記に関しては、自宅住所を登記簿に記載するのが不安だったため、銀座のバーチャルオフィスを契約。もちろん、社員を雇う余裕もありませんでした」 2020年3月の起業直後から「TSUGUKIT」の開発と制作を開始し、同年5月にはAmazonで販売をスタート。初めの半年間は売り上げが徐々に増える程度で、月に50~80個ほどの販売が続いた。 「1個1万円の商品であるため、ギリギリ生活ができる利益が出ていました。次第に本業との両立が難しくなり、会社に迷惑をかけるのではないかと感じ、思い切って退職することに。そして、金継ぎ一本に絞ったところ、コロナ禍の〝巣ごもり需要〟も手伝ってか、『TSUGUKIT』の売り上げがどんどん伸びていったんです。そのころには自分一人では手が回らなくなったのでアルバイトを雇用し、材料の大量発注によるコスト削減を図るため、近隣のレンタル倉庫を借りるなど、事業の効率化を進めていきました」 そして、2021年にはついに初の実店舗である「つぐつぐ 恵比寿店」をオープンさせ、金継ぎ修理を受け付けるほか、金継ぎ教室も開催。翌年にオープンさせた浅草店では、観光客や外国人向けの1時間の金継ぎワークショップを開始し、短時間で金継ぎ体験ができるプログラムを提供することでインバウンド需要にも対応している。 「恵比寿店をオープンしたこと、そしてブログで金継ぎの練習の様子などを発信し続けていたことで、ラジオやテレビ、WEBにも注目いただく機会が増加。そういったメディア露出が事業を広く知ってもらう大きな転機となりました。事業が軌道に乗ったと実感したのは、起業してから1年半ほど経った頃でしょうか。コロナ禍という状況下でリスクをとって店舗を開いた決断や、今まで知られていなかった金継ぎをわかりやすくブログで情報発信していったことが、成功への重要なステップとなったのかもしれません」 ライフシフトは〝できるかどうか〟を考えるよりも、〝やりたいかどうか〟が大切 現在、「株式会社つぐつぐ」のスタッフは8名で、2025年4月には新卒4名を含む5名が加わり、計13名となる予定だ。新たに加わるスタッフは、漆の経験者や、金継ぎ検定初級合格者などさまざま。すでに金継ぎを仕事にしている職人を雇い入れるのではなく、全員、社内での育成を通じて技術を習得していく。わずか5年で俣野さん1人の会社からスタッフ13名と、飛躍的に成長している印象だが、事業を構築していく中では多くの失敗も経験したという。 「まず、初期段階での大きな課題はマネジメントでした。私はもともと何でも器用にこなせるタイプで、社員にも同じような作業効率を期待してしまう傾向があったため、プレッシャーを感じて退職してしまう社員も。この経験から、今では〝人が命〟という考え方にシフトチェンジ。特に金継ぎという手仕事において、社員のやる気や雰囲気が事業の成長に直結するため、働きやすい環境づくりを重視するようになりました」 また、社員全員が女性という環境のため、今後それぞれがライフイベントを迎える可能性が高いことを考慮。どのような状況でも働き続けられる柔軟な制度や、職場環境を整える必要性を感じているそうだ。 「もう一つの失敗は、お客様のニーズを正確に把握しないまま商品を開発してしまったこと。自分では『これはきっと売れる』と思って作った商品が、実際には売れませんでした。〝お客様の声をしっかり聞くこと〟が事業成功の鍵であると学んだことで、それからは提供する商品やサービスが本当にお客様に役立つかを慎重に確認するようにしています」 起業した当初、〝誰かと比べない生き方〟を目指していた俣野さんだが、自社の商品やサービスが模倣されるなど、次第に競合の存在を意識する場面も。最初は戸惑ったそうだが、「最近では他社が真似できるようなことは、どんどんやってもらえばいいと割り切っています」と笑う。 「誰も真似できない独自のサービスやアイデアを追求していきたいなと。『つぐつぐ』は今後も他にはないユニークな取り組みを進めていき、より多くの人に注目されるブランドでありたいと思っています」 ここまでひた走ってきた俣野さんにとって、その最大の原動力は何かと問うと、「お客様からの感謝の言葉」という返事が。壊れてしまったけれど、捨てたくない大切な器の数々。それらが金継ぎで修復されたのを目の前にし、涙を流して喜ぶ方も少なくない。そんな時、「本当にこの仕事をしていてよかった」と思うのだそう。 「修理には時間がかかり、1年以上お待ちいただくこともありますが、それでも完成品を手にした瞬間にお客様が感動されている様子は、この仕事を続ける上での大きな励みになっています。また、教室に通ってくださるお客様の変化も大きな喜びです。かつては、自分の器を修復したら終了とういう方が多かったのですが、今では金継ぎを趣味として深く楽しみ、さらにご友人の器を修理したり、漆を使った他の技法にも挑戦したりする方が増えています。教室が、ただ技術を学ぶ場ではなく、心温まる場所として受け入れられていることを感じられるのは、とても幸せです」 加えてスタッフの存在が彼女にとって大切な支えであり、一緒に働けることに日々、喜びや幸せを感じているという。だからこそ「全員が生き生きと働ける環境を作り続けたい」と語る俣野さんは、「つぐつぐ」をより効率的で、働く人がやりがいを持てる会社にすることにも余念がない。 「まずは金継ぎ修理にかかる待ち時間を大幅に短縮し、依頼から2~3か月で修理を完了できる体制に整えていきたいです。また、国内外に店舗を増やし、誰もが気軽に金継ぎを依頼できる環境を作れたらと。さらに、金継ぎ以外の日本の伝統技術にも目を向け、まだ広く知られていないけれども魅力的な技術やサービスを発掘し、世に広めることも考えています。それを通じて、新たな雇用を生み出し、より多くの人が伝統技術を活かして生き生きと働ける場を提供していきたいです。伝統を守るだけでなく、現代の技術を取り入れながら仕組み化を進め、持続可能な形で発展させることで、『つぐつぐ』が金継ぎや他の伝統技術の未来を支える存在となることを目指しています」 かつてのように弟子入り制度が機能しなくなってきた現代において、手仕事で生計を立てられる場を提供することが伝統技術の維持に重要だと、俣野さんは考える。そんな金継ぎのみならず広く伝統技術の未来まで見据える彼女にとって、金継ぎへ抱く思いは出会った当初から変化したのだろうか。 「最初に直感的に素晴らしいと思った点、例えば、大切なものを捨てずに再び使えるようにするという技術の存在や、SDGs的な視点から環境に優しいという側面、さらには日本の伝統技術を未来につなげることへの社会的意義は、今でも私の中で大きな魅力です。一方で、金継ぎの哲学的な側面に対する評価は、特に海外の方からの反応を通じて改めてその深さに気づかされました。壊れた箇所を隠さず、むしろ目立たせることで美しさを創り出すという逆転の発想に、多くの人が感銘を受けています。日本人が〝お気に入りの器を再び使えること〟に魅力を感じるのに対し、海外の方はその哲学や芸術性に惹かれることが多いのではないでしょうか」 加えて、俣野さんが考える、今後の金継ぎの可能性についても聞いてみた。 「現代の大量生産・大量消費に対するアンチテーゼとして、さらなる広がりがあると考えています。金継ぎは手間がかかり、決して便利なものではありませんが、その分、心を豊かにし、人々に新しい価値観を提供できるはず。このように、金継ぎは伝統技術でありながら、現代社会においても身近で必要とされる存在としてのポテンシャルを秘めていると感じています」 かつては自身の価値を高めるために語学の習得や、MBA取得など、ひたすらに努力を積み重ねてきた俣野さん。そして金継ぎと出会い、他者に評価を求めることを捨て、成功をつかんだ彼女にとって、ライフシフトで大切にすべきことは何か聞いてみた。 「まず、〝できるかどうか〟を考えるよりも、〝やりたいかどうか〟です。私自身も起業前は不安や迷いがありましたが、〝やりたい〟という気持ちが強かったからこそ、一歩を踏み出せました。不安は誰にでもありますし、100%準備が整うことはありません。それでも、〝これをやりたい〟と思える何かがあれば、きっとその道は開けるはず。その次に、できない理由を書き出して、できない理由を〝できる〟に変えるTo Doを作って、一つ一つできない理由を潰していけば、できる〟理由しか残らなくなります」 さらに、「失敗しても大丈夫」というマインドを持つことも大切だと続ける。 「私は、何事も、失敗したらどうするか?というプランB、プランCを作っておくことで、安心させていました。最悪の場合でもここまでしかならないんだ~と思うと、やったほうがいいベネフィットと、やらなかったことのリスクの、どちらが大きいかわかるのではないでしょうか。何もしなかったらマイナスにならない、現状維持と思っている人が多いかもしれませんが、私は早くやらなかったことの機会損失をすごくロスだと考えるタイプなので。思い立ったらすぐ行動してしまうんです(笑)」 例えば、新しい商品やサービスを思いつくも、即実行しなかったとする。その隙に他の誰かが実行し、自分は二番手になってしまうことで、新規性や市場など失うものは計り知れないのだと、説明してくれた。 「完璧ではなくても小さく始めて、だんだんアップデートや改良していくやり方が私には合っているなと。最初から完璧なものを作ろうとしても結局完璧にはならないですし、すごく時間をかけてしまうと、何かミスや失敗があった場合、すべてを撤回しなければいけなくなります。そうするとダメージも大きいので、小さくてもスピード感を持って始めて、続けていくというのが私のスタイルです」 また、ライフシフトをしたいけど迷っている人に対してアドバイスを求めたところ、「自分のペースで進めばいいのではないでしょうか」ときっぱり。本当にライフシフトをしなければいけないのか?躊躇したり、迷うところがあるのであれば、「現状をもっと幸せだと思って生きる」のも一つの手だという。 「起業ってキラキラして見えますが、雇われている方がリスクは小さいし、受けられるベネフィットは減らないし、安定してるしと、いいことだっていっぱい。それでも、もし何か自分でやりたいと思ったら、今すぐ計画を立てて、失敗した時のプランも作っておいて、明日にでも起業支援の無料のウェブサイトをポチって、それに沿って起業準備をすれば、簡単に始められます。本当に今は便利な世の中で、『来月、ちょっと飛行機で旅行に行こう』『明日、ヘアサロンで長い髪をバッサリ切ってショートにしてみようかな?』と同じくらいの感覚で、会社を1つ作れますので、やってみてください!」 文● 杉山幸恵