300年間沈黙の富士山 巨大地震で噴火誘発か?
大地震との関連性は?
実はこの「宝永噴火」の49日前、10月28日に南海トラフで大地震(宝永地震、M8.6)が起き、関東から九州までの太平洋岸に津波が襲った。死者数は4900~2万人以上ともみられる。また翌29日には富士宮でM 7.0クラスの最大余震も起きたとされる。なお、東日本震災と同様な規模の地震・大津波をもたらした「貞観地震」の発生は869年(貞観11年)7月9日なので、富士山の「貞観噴火」の5年後だ。 宝永地震と宝永噴火の例だけで、大地震と富士山の噴火の連動は確実なものなのか。同じ南海トラフを震源とする地震(東海地震、東南海地震、南海地震)は、宝永噴火以降も1854年12月の「安政東海地震・安政南海地震」、1944年12月の「昭和東南海地震」、46年12月の「昭和南海地震」が起きているが、富士山の噴火と結びついてはいない。 それでもなお、火山学者らが富士山噴火に注意するのは、富士山のもつ特殊性だ。
特別な存在の富士山
富士山は元々が南のフィリピン海プレート(岩板)の海底火山だった。そのフィリピン海プレートが100万年前に本州に衝突するとともに丹沢山地や赤石山地を盛り上がらせ、さらに富士山自ら火山活動を活発させて、今の箱根山や伊豆半島などとともに地上にせり上がってきたものだ。 本州の他の火山が粘り気のある安山岩質溶岩であるのに対して、富士山の溶岩が、例えばハワイ諸島の火山と同様に、粘性の小さな玄武岩質であることも海洋性の火山であることを裏付ける。さらに、富士山北側の山梨県河口湖町からは海の化石も産出しているのだ。 フィリピン海プレートは年間約4.2~4.9センチの速度で北西方向に進み、伊豆半島西側の駿河湾から連なる南海トラフで、本州のあるユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。伊豆半島の東側では、神奈川県沖から千葉県南沖にのびる「相模トラフ」が本州東側の北米プレートへの沈み込み場所だ。その相模トラフを震源域に1923年(大正12年)9月1日、「大正関東地震」(関東大震災、M7.9)が発生した。