【追悼】東京地検特捜部元検事・堀田力弁護士が語った「ロッキード事件」捜査秘話 「派手な上着にカメラを下げ、サングラスで観光客を装った」田中角栄元総理大臣の逮捕を切り開いた極秘渡米 平成事件史(20)
最大の問題は「21億円」についての脱税(所得税法違反)の時効期限が3月に迫っていたことだ。 特捜部はこの脱税をまず立件し、それを突破口としてロッキード社の『トライスター』や『P3C』の疑惑に攻め込む方針を固めた。 事件発覚から20日目の2月24日、正式に「ロッキード事件捜査本部」が立ち上がり、東京地検、東京国税局、警視庁の三者合同による関係個所の一斉家宅捜索が行われた。 総勢約400人が動員された捜索は、東京・世田谷区等々力の児玉邸、丸紅本社など30カ所近くに及び、史上最大規模の強制捜査となった。 児玉邸では10時間以上にわたって家宅捜索が続けられた。児玉がいる病床では、特捜部の松田昇(15期)検事と医師の立ち合いのもとで、慎重に捜索が行われた。 「三者合同の強制捜査は異例だった。事前に警視庁から児玉を一緒にやらせてくれと相談があったが、国税庁との関係もあり断った。 警視庁には丸紅を手伝ってもらうことになったが、案の定、事前にマスコミに情報が漏れたため、抗議した」(当時の検察幹部) 合同捜査のデメリットは、「秘密保持」が難しいことである。 国会議員の中には警察OBもいるため、検察は「警察から政治家に情報が漏れる」ことに常に神経を尖らせていた。これは時代を問わずついて回る。 ■“やっかいな”三木総理 また特捜部にとって悩ましい存在となっていたのが、現職の総理大臣である三木武夫だった。強制捜査と同じ日、三木は米フォード大統領に直接、「政府高官」の名前が記された未公開の捜査資料を引き渡すよう要請した。 三木は「クリーンな政治」を掲げ、金権批判で退陣した田中に代わって総理大臣に就いたが、三木派は国会議員の数も田中派の約半分で、弱小派閥。政権の基盤も安定していなかった。 そんなときに突如、降ってわいたロッキード事件の真相究明は、三木にとって国民からの支持を集める絶好のチャンスでもあった。 真相究明を求める世論を追い風に、三木総理は、一刻も早く米側の未公開資料を手に入れ、ロ社からカネを受け取った「政府高官」の名前を公表するつもりだった。 カネが動いたのは田中総理の時代であり、三木総理は真相究明に前のめりだった。
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