近代皇族の日常を体現する建築 聖心女子大学キャンパス内 旧久邇宮邸(東京都渋谷区) 門井慶喜の史々周国
角材でもって碁盤の目のように天井を区切る、いわゆる格天井(ごうてんじょう)である。それだけならば世に例は数多いけれど、この住宅では、その正方形のなかへ、ひとつおきに、市松模様よろしく日本画の小品を嵌(は)め込んでいる。
それはたとえば速水御舟(はやみぎょしゅう)の牡丹(ぼたん)であり、安田靫彦(ゆきひこ)の薊(あざみ)であり…あんまり貴重なものなので現在は東京国立博物館にあるそうで、私の見たのは複製だったが、それでも見るうち(近代だなあ)。しみじみと、そんな気になったのである。
なぜならここでは、統一の美は目指されていない。たとえば一双の屛風(びょうぶ)のなかに和歌の書かれた紙幅をたくさん貼りつけて、それによって屛風そのものを生きた作品とするがごとき全体志向は見られないので、そのかわり濃厚なのは、一種の博物館的な態度である。収集と展示が最大の目的、と言えばいいか。
そもそもこの天井のしつらえは、例の邦彦王の発案によるものらしい。彼は伝統重視の美術団体である日本美術協会の総裁の職に就いていたから、その縁故もあるのだろうが、しかし、より本質的に考えれば、久邇宮という家自体がもう純粋に近代の産物だった。
明治初期に、政府の後押しによって、いわば近代の価値観を受け入れる前提で世にあらわれた家。その二代目とあってみれば、いくら血すじ自体はむかしながらのものだとしても、いやむしろそうであるだけに、その生活意識は複雑になるほかなかった。彼の目にはたぶん、格天井という日本の伝統が、伝統のまま、まるで標本箱のように見えたのではないか。
日本的な全体の「和」よりも、その構成物それぞれの魅力を強調する内装。もしかしたら西洋的な個人主義に通じるかもしれない作りつけ。なおこの旧邸は一般公開していないが、今年の三月には、期日を設けて特別公開をおこなった由。またの機会を期待しよう。
=次回は1月22日掲載予定