近代皇族の日常を体現する建築 聖心女子大学キャンパス内 旧久邇宮邸(東京都渋谷区) 門井慶喜の史々周国
聖心女子大学で講演をした。 いや、厳密には講演ではなく、講義というべきか。この大学には「ジェネラルレクチャー」という授業がある。通常のそれのように一人の先生が担当するのではなく、毎週、別の人が教壇に立つ。 ときには学外の講師に話をさせる。私はそういう講師のなかの一人として招かれ、学生たちの前に立ち、そうして「文章の書き方」という題でしゃべったのである。まあ私の話術など大したことはないのだが、学生たちが熱心に耳を傾けてくれたので、何とか講義の体裁を保つことができたのは有(あ)り難(がた)かった。まことに良質の環境だった。 ところで、この日の前、現代教養学部の小山裕樹准教授と事務的なやりとりをしているとき、小山さんから、「建物を見ませんか」とお誘いをいただいた。 現在、この大学のキャンパス内には旧皇族・久邇宮(くにのみや)の旧邸の一部が残されていて、学生の課外活動などに利用しているのだという。私は「ぜひ」と答えて、当日、講義の前に見せてもらった。 現存しているのは、御常御殿(おつねごてん)、小食堂、車寄せなど。すべて和風建築である。このうち歴史という物語の舞台としては、さしあたり車寄せがいちばん目を引くだろうか。本館の建物から唐破風の屋根が張り出して、ぼってりと頭上を覆う感じ。この屋根からは、大正十三(一九二四)年、ひとりの女性が結婚のため出発したのである。 その女性とは久邇宮第二代邦彦(くによし)王の長女の良子(ながこ)である。二十歳。結婚相手は皇太子裕仁(ひろひと)、二年後に践祚(せんそ)して天皇(昭和天皇)となった。おのずから良子も皇后(香淳皇后)になり、その誕生日である三月六日は「地久節」と称された。 或(あ)る意味、現代女性史の原点である。しかし住宅建築としてはやはり車寄せは主たる部分ではないわけで、この場合、それは御常御殿のほうである。 主人のふだん暮らす空間。私は玄関で靴をぬぎ、なかへ入った。 廊下には、畳が敷かれている。向かって右側には屋外に面したガラス窓、左側に和風の部屋のつらなり。一見よくあるお屋敷のようでいて、やはり随所に華やかさがある。たとえば釘(くぎ)かくしには菊の御紋(ごもん)があしらわれているし、火灯窓(かとうまど)(花頭窓)は人が出入りできるくらい大きい。なかでも特に目が引かれたのは、寝室の天井だった。