中国の「気候変動対策」が日本を圧倒する4つの理由 歴史認識と政策が生み出すギャップとは?
「殷は気候変動で滅びた」
日中格差このように説明できる。中国が先行し、日本が遅れる理由があるのだ。 加えて、四つめ「歴史認識の影響」もあるのではないか。気候変動により王朝交代に至った。その認識から、国家滅亡を回避するために脱炭素を進めるべきと考える影響もあるのではないだろうか。 最初の王朝交代も乾燥化の結果である。商代、日本式なら殷代には黄河流域は気候湿潤であった。それが末期には乾燥化が進む。この気候変動が殷を弱体化させ周への王朝交代をもたらす背景となった。 この話は20年ほど前から出ている。地質学や動植物学の成果と殷周交代を関連付ける発想である。今では教育分野まで広まっている(*1)。 しかも、最近では殷王朝の反応まで明らかになっている。楊謙と詹森楊による殷代井戸の研究である(*2)。 殷代前期はおおむね暖湿であった。殷墟の第1期、2期の年間降水量は800m以上と今の長江流域に相当する。 それが後半期には水不足となる。3期後半から滅亡期の4期は乾燥に転じた。また、その気候変動の結果として極端な自然災害も発生した。それが滅亡の背景となった。 それを井戸の地下水位、文献の記述、井戸祭祀(さいし)から論じている。 第一は、「殷墟における井戸の平均水位」である。水位の痕線は殷代前期は平均地下8m程度、深くとも12mであった。それが後期には10mとなり、晩期に至ると平均11m、最大14mまで低下した。 それを気候変動の証拠としている。気象学で明らかになっていた降水量減少により、水利用で重要な井戸の地下水位も下がったとしている。 第二は、「文献との一致」である。『国語』の「周語上」や『淮南子』の「俶真訓」では、殷が滅びる際に「川が渇いた」や「三つの川が枯れた」と水位低下と矛盾しない災害の記述が出てくる。 それを歴史的事実の反映とみなす。水不足にとどまらない自然災害の発生と、それによる社会の不安定化を示している。それが殷王朝が倒れた要因との見立である。 そして第三が、「井戸祭祀の発生」である。後半期の井戸や周辺部からはその形跡が出てくる。前期にはなかった儀式を実施したとの内容である。 供物もおごっている。井戸の脇にある祭祀坑から無頭の人骨一式や、逆に人の頭蓋骨ふたつと完全な牛一頭の骨格が出てきた例や、井戸の底から酒をためておく罍器や、その酒を杯に注ぐ爵器といった貴重な青銅器が出土した例を紹介している。 これは熱心な水乞いを示している。乾燥化にともなう水不足で社会や王朝は困窮したため、祭祀により天に水を求めた証拠と解釈している。