長谷部誠と最も共闘したのは? 出場試合数ランキング1~10位。日本人選手でトップに立ったのは?
7位:田中マルクス闘莉王(元日本代表) 生年月日:1981年4月24日 クラブ:浦和レッズ 試合数:157試合 2004年にサンフレッチェ広島から浦和レッズへ移籍した田中マルクス闘莉王は、すぐにレギュラーに定着した。対人守備に絶対的な自信を持っており、フィジカルの強さを活かしてゴールを守り抜く闘将だ。 彼には普通のDFと決定的に異なる特徴があり、それが積極的に前線へ攻め上がること。コーナーキックの時だけではなく、流れの中でスルスルとポジションを上げて攻撃に参加するプレーは、闘莉王だけにしかない魅力の1つだ。浦和がJ1初優勝を成し遂げた2006シーズンには、チーム2位となるリーグ戦7ゴールを記録。FW顔負けの得点力を発揮している。 そんな闘莉王のタイミングの良い攻撃参加の陰には、中盤で2ボランチを組む鈴木啓太と長谷部誠の絶妙なバランス調整がある。同選手が前線へ駆けあがった際には鈴木が最終ラインに入り、長谷部と共に空いたスペースをカバーした。 その長谷部と闘莉王は、2002年から2007年までの5年間にわたり、157試合で共闘している。特筆すべきは、両者が共にピッチに立った時の「平均勝ち点」が高いことだ。1試合当たりの平均勝ち点は「2.11」を記録し、これは長谷部と共闘したランキングトップ10の選手たちの中で最も高い数字。もちろん、勝ち点はチーム全員の活躍があって手に入るものだが、このあたりからも2人の相性の良さが伺えるだろう。
6位:坪井慶介(元日本代表) 生年月日:1979年9月16日 クラブ:浦和レッズ 試合数:163試合 長く浦和レッズのゴールを守った守備職人は、長谷部誠と多くの試合で苦楽を共にしている。 元日本代表DF坪井慶介は福岡大学を卒業後、2002年に浦和へ加入した。同じ年に長谷部は高卒でチームに加わったため、4つ年齢が離れているものの、2人は同期ということになる。坪井は移籍初年度となる2002シーズン、すぐにレギュラーに定着してリーグ戦30試合に出場。早速実力を発揮した同選手はシーズンの新人王(現ベストヤングプレイヤー賞)に輝いた。対して、当時18歳だった長谷部の出場機会はカップ戦の1試合に留まっている。 しかし、翌2003シーズンからは長谷部の出場機会が大幅に増え、2人ともチームに欠かせない存在に。クラブ史上初のタイトルであるナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)優勝を成し遂げている。2シーズン連続で絶対的なディフェンダーとして活躍した坪井は、Jリーグベストイレブンに選出された。 その後2人の共闘は2007シーズンまで続き、同じピッチの上で戦った試合数は163試合に上る。それぞれ最終ラインと中盤で輝きを放ち、クラブに天皇杯優勝2回、J1リーグ優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝など、素晴らしいタイトルを残した。 長谷部が退団した後も坪井は浦和で長く活躍。最終的に2014年まで在籍した。晩年は出場機会に恵まれなかったが、在籍13シーズンで公式戦381試合に出場している。