長谷部誠と最も共闘したのは? 出場試合数ランキング1~10位。日本人選手でトップに立ったのは?
5位:平川忠亮(日本) 生年月日:1979年5月1日 クラブ:浦和レッズ 試合数:164試合 プロデビューを果たした2002年からスパイクを脱いだ2018年まで、浦和レッズ一筋の男が5位にランクインした。 2002年に筑波大学から浦和に加入した平川忠亮は、藤枝東高校から浦和に加入した長谷部誠と同期。大卒と高卒の違いもあり、平川は1年目からコンスタントに起用されたのに対して、長谷部は我慢のプロ1年目となった。 その後、両者にとってプロ2年目となる2003シーズン、長谷部が出場機会を大きく増やし、本格的に平川と長谷部の共闘が始まる。最終的に2007シーズンまでの5シーズンを共に浦和で過ごし、164試合を戦っている。 右サイドバックを本職とする平川だが、加入当初は左サイドでの起用もしばしば。チームの台所事情に合わせて様々なポジションを担当し、献身的なプレーで熾烈な競争の中でも必要とされてきた。 しかし、2015シーズンに関根貴大の加入などが影響して出番が激減すると、翌2016シーズンは負傷離脱もあってリーグ戦出場なしで終了。ピッチに立つ試合が少なくなり、2018シーズン終了をもって現役を退いている。 その後、平川は愛する浦和のユースコーチ、トップチームコーチを歴任。今年度よりユース監督に就任している。浦和が誇るバンディエラが、ネクスト長谷部誠を世に送り出す日が来るかもしれない。
4位:永井雄一郎(元日本代表) 生年月日:1979年2月14日 クラブ:浦和レッズ 試合数:166試合 惜しくもランキングトップ3入りとはならなかったが、永井雄一郎は長谷部誠と166試合を共に戦っている。 1997年に高卒で浦和レッズに加入した永井は、プロ1年目ながらリーグ戦30試合に出場。「18歳4か月」で加入後初ゴールを奪い、長くクラブの最年少得点記録に君臨した。大きなインパクトを残したデビューシーズンとなったが、2年目の1998シーズンは出番が激減。夏にカールスルーエ(ドイツ)へ武者修行に出ることを決断している。 そして約1年後、日本に戻ってきた同選手は調子を取り戻し、本来の輝きを放ち始める。2000シーズンにはリーグ戦29試合で12ゴールをあげてJ1昇格の立役者となった。 長谷部誠と出会ったのは2002年のことだ。長谷部がハンス・オフト監督の信頼を掴んだ2003シーズンから本格的な共闘が始まり、永井は前線で、長谷部はその1列後ろのトップ下やボランチの位置でチームの勝利のために走り回った。 その共闘は長谷部がドイツへ渡る前の2007年まで続き、最後の2007シーズンにはAFCチャンピオンズリーグ優勝を達成。共にグループステージから決勝まで11試合に出場し、永井は3得点、長谷部は2得点をマークした。セパハンを相手に迎えた決勝では、1st レグを1-1で終えると、2nd レグでは永井が先制点を奪取。この得点もあって2-1で勝利し、見事優勝を掴み取っている。 現在45歳となった永井はまだ現役を続けている。昨年2月にはKONOSU CITY FC(現・埼玉県2部)の選手兼監督に就任したことが同クラブより発表された。