長谷部誠と最も共闘したのは? 出場試合数ランキング1~10位。日本人選手でトップに立ったのは?
9位:ティモシー・チャンドラー(アメリカ合衆国代表) 生年月日: 1990年3月29日 クラブ:ニュルンベルク、フランクフルト(ドイツ) 試合数:157試合 ティモシー・チャンドラーは、長谷部誠と2つのクラブでチームメイトになった珍しい存在だ。 フランクフルトの下部組織出身であるチャンドラーは、2010年にニュルンベルクのリザーブチームへ移籍。翌年にトップチーム昇格とブンデスリーガデビューを果たすと、13/14シーズンを長谷部と共に過ごしている。 その1年後、2人は夏の移籍市場でフランクフルトへ完全移籍することを決断する。迎えた14/15シーズン、チャンドラーは右サイドバック、長谷部はボランチの位置でレギュラーの座を掴んだ。翌シーズンは、監督交代の煽りを受けて長谷部が右サイドバックに起用され、アメリカ代表DFの出番が激減することもあったが、それ以降のシーズンでは両者とも本来のポジションで定位置を確立している。 今季まで10シーズンをフランクフルトで過ごした2人は、いまやチーム内で最も長くクラブに在籍する選手だ。年齢による衰えもあってか、どちらも直近のシーズンは出場試合こそ多くない。しかし、ピッチ内外でリーダーシップを発揮し、チームの精神的支柱になっている。 フランクフルトは今季終了をもって、長谷部と共にセバスティアン・ローデという偉大なレジェンドを失うことになった。チャンドラーは独紙『ビルト』の取材に対し「私はとても長い間、マコト、セッペル(ローデ)とプレーしてきた。彼らは私たちが失いつつある非常に重要な柱だ」と述べ、長谷部の現役引退が若手選手たちにとって大きな損失になると話している。
8位:都築龍太(元日本代表) 生年月日:1978年4月18日 クラブ:浦和レッズ 試合数:157試合 8位にランクインしたのは、元日本代表GK都築龍太だ。 都築は2003年にガンバ大阪から浦和レッズへ完全移籍。ここからGK山岸範宏との熾烈なポジション争いの火蓋が切られると同時に、当時高卒2年目だった長谷部誠との共闘が始まっている。2003シーズン、都築は守護神としてリーグ戦20試合に、現在よりも攻撃的な位置でプレーしていた長谷部はリーグ戦28試合に出場。チームはナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)決勝で鹿島アントラーズを破り、クラブ史上初のタイトルを手に入れている。 2人が共に浦和でプレーしたのは、長谷部がドイツに渡る前の2007シーズンまでだ。この5シーズンの間に157試合で同じピッチに立ち、天皇杯優勝2回、J1リーグ優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝など数々の栄光をクラブにもたらした。また、最後の共闘となった2007シーズン、守護神として活躍した都築はJリーグベストイレブン、長谷部は自身4度目となるJリーグ優秀選手賞に輝いている。 長谷部が浦和を去った2008シーズンも、ポジション争いを制した都築はリーグ戦33試合に出場。続く2009シーズンも好調を維持していたが、右膝の負傷によってライバルである山岸に守護神の座を奪われてしまった。その後、同選手は出場機会を求めて湘南ベルマーレへレンタル移籍した2010シーズン終了後に、現役引退を発表している。