「ふてほど=不適切報道」に見たテレビ報道の凋落 ニュートラルに立ち位置を変えるべきでは?
12月2日に発表された新語・流行語大賞は「ふてほど」だった。TBSドラマ「不適切にもほどがある!」のタイトルの略語だが「これは流行語か?」とネガティブに話題になった。私も毎回欠かさず見た面白いドラマだが、「ふてほど」が流行語と言われると私も違和感を持った。この略語は聞いたことはあったものの、言葉として流行ったとは言い難い。 【画像】なぜ「不適切報道」がトレンド入り? ■「ふてほど=不適切報道」? この日、なにげにXを開くと「不適切報道」という言葉がトレンド入りしていた。何かあったのかと投稿を読んでみたら「ふてほど=不適切報道」との意味だった。「ふてほど」がドラマのタイトルではなく「不適切報道」なら流行語として納得がいく、というテレビ報道不信を元にした言葉遊びが拡散されたのだ。こんなことでもテレビ報道は馬鹿にされるのかと驚いた。
ネットが普及して以来、SNSでマスメディアが「マスゴミ」と呼ばれて揶揄されることは日常化していた。だが、今このタイミングで「不適切報道」などと言われてしまうのは、兵庫県知事選挙での報道で「マスゴミ」呼ばわりが再燃しているからだ。 そしてそのトーンはこれまでと違う気がした。過去の「マスゴミ呼ばわり」は、シンプルに大きな存在や権威的なものを嫌う感覚的なものだったように思う。だが最近、特に兵庫県知事選挙からはもっと本質的な異議、存在価値を100%否定するような批判に思える。こんなことを書くのは、私自身にもそんな気持ちがあるからだ。テレビ世代でマスメディアの分野で仕事をしてきた私でさえ、そのテレビ報道を軽蔑する気持ちが高まっている。
では兵庫県知事選挙でのマスコミはどこがまずかったのか。もっとも強く感じたのは、選挙が終わった翌日、ニュースや情報番組で一斉に「SNSが結果を動かした選挙」として伝えた時だ。そのことを、SNSなんか偽情報だらけの問題空間で信じてはいけないと批判するばかりか、テレビは法律の縛りがあって選挙期間中は報道できない、ネットはそうした縛りがなくていいのか、と言い出した。私は二重にとんでもないことを言っていると感じた。