韓国人でなくとも怒りが湧いてきた 戒厳令の夜、私がソウル国会前を離れなかった理由 弁護士・猿田佐世
韓国の国会が揺れている。突然、非常戒厳令が宣布されたが、一夜にして解除。これを受けて尹錫悦大統領の弾劾訴追案が提出された。7日夜に不成立になったものの、すでに再提出に向けた動きが出ている。戒厳令が宣布された日、偶然にも、シンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」代表で、弁護士(日本・ニューヨーク州)の猿田佐世さんはソウルに滞在中だった。あの夜、国会前で経験した一部始終を寄稿した。(前後編の今回は前編) 【写真】「恥ずかしくないのか!」全世界に瞬く間に広がった映像 * * * 「えっ?『戒厳令』……?どういうこと?」 これが私の最初の一言だった。 12月3日午後10時25分、韓国の尹錫悦大統領が非常戒厳令を宣布した。 私は、ソウルで行われた日米韓中の研究者の国際会議に参加し、1日目の日程を終えた後だった。会議場は国会議員会館だったため、国会にほど近いレストランに移動して会議参加者と懇談していた。既に別れていた会議参加者の議員補佐官から「戒厳令が出た」とのメール。「私たちにもどうしたらいいかわからないが、とにかく安全確保を」とのメールも続く。 楽しい飲みの場が騒然となる。韓国映画で見た戦車が街を練り歩き人々が殺される軍事政権時代の風景が頭をよぎる。ここは国会から数ブロックしか離れていない。軍がこの店に入ってくるのも時間の問題なのか。 宿泊先ホテルは国会の真ん前。見ると、国会前には数十人が集まり、声を上げ始めていた。 1980年以来44年ぶり、民主化後初の戒厳令。80年当時の戒厳令下に起きた光州事件では240人以上が死亡・行方不明になったとされる。 「野党が従わないから?」そんな理由で軍を出動させ人々を弾圧していいのか。韓国人でない私にも怒りの気持ちが沸いてくる。 既に夜11時を回り雪もちらつく中、国会前には次々と人々が集まり、その数は増え、戒厳令解除を求めて声を張り上げていた。
その場には会議参加者の日本人4人でいたが、誰も韓国語が分からない。政府の状況も、集まっている人たちが何を叫んでいるかも分からない。人々は平和裏にデモをしているが、軍投入の可能性があり緊張は漂う。軍は右からくるのか左からくるのか。頭上を軍のヘリコプターが2台、また3台、と国会目指して飛んでくる。 危険なことはできない。言葉が分からないので逃げ遅れるかもしれないし、外国人であるだけで逮捕されるかもしれない。とにかく情報を集めねば、と、携帯で韓国の英字紙を追い、韓国人の友人に情報を求め、時差で真夜中ではないワシントン支局や北京支局のメディアの記者の友人たちに、「情報があったら何でもいいから教えて!」と頼んだ。 戒厳司令部が設置され、司令官には陸軍参謀総長が任命されたらしい。 戒厳令に続けて布告令が出たらしい。 国会や政党の活動、集会やデモなどの政治活動が禁止されたらしい。 メディア統制が始まるらしい……。 断片的な情報が飛び交う。 その時、私たちの日本語を聞き、「日本人ですか?」と話しかけてくれる人が出てきた。25歳だという男性が通訳と解説役を買って出てくれ、私たちが最後に現場を離れるまでの何時間もの間、何を皆が叫んでいるのか、韓国メディアが何を伝えているのか、時々刻々と教えてくれた。 ■外の闘い 国会議員が国会に入れるか 解除決議をめぐる攻防 大統領が出した戒厳令は在籍の国会議員の過半数の決議で解除を要求できる(韓国憲法77条)。そのため、攻防は国会議員が国会に集まってその議決をできるかどうかにかかっていた。 大統領側は、国会議員が国会に入れないよう軍や警察を国会に送る。 国会の外では、戒厳令下で集会も政治活動も禁止され、令状のない逮捕も可能になっているにもかかわらず、人々が体を張って軍や警察が国会に入らないよう阻止していた。 群衆がみるみる膨らむ中、一台の車が私の目の前に侵入してきた。 そのとたん、さっと20人ほどの人々が口々に何かを叫びながらその車を取り囲む。幾重にも囲まれた車は動けなくなり、中の人は車から降りることもできなくなった。聞けば、特殊な長いアンテナを付けているその灰色の車には軍人が乗っているとのことだった。