殺人を犯しても生き続けられる“無期懲役刑”…「本当はこの手で殺してやりたい」苦しみ続ける遺族
日本の刑法で定められている最も重い刑罰は「死刑」、次にくるのが期限の定めがない「無期懲役刑」だ。殺人などの凶悪事件ではこれらの判決が下されることが珍しくないが、両者の間には生と死という果てしない深さの溝が存在する。 【動画】「人間の最期は恐ろしい」殺人犯が語る事件当時の心理 人を殺めながらも生き続けられる加害者と、当然に来ると信じていた明日を奪われた被害者。判決が確定した後も、残された家族はその狭間で苦しみ続ける。「この手で殺してやりたい」。妻子3人を殺された男性はやり場のない怒りを力のない声で吐露した。(弁護士ドットコムニュース・一宮俊介)
●妻と2人の娘を殺された男性「生きる希望がない」
「仕事を終えて帰宅をすると、家族の中で生きているのは私1人だけでした」 2015年9月に埼玉県熊谷市で発生した「熊谷6人殺害事件」。妻・美和子さん(当時41歳)、長女・美咲さん(同10歳)、次女・春花さん(同7歳)の3人を一度に奪われた加藤裕希(ゆうき)さん(51)は、警察の対応に問題がなかったかを問う民事裁判でそう述べた。 事件から9年。時間が解決することは何もない。生き地獄の中で感情の浮き沈みが続く。昨年3月からの1年間は休職した。今も1日1日をなんとか生き延びている状態だ。 「本心を言えば、もう死にたいという気持ちです。でも死ぬのは怖い。事件のことを四六時中考えていると自分の身が持ちません。一方で、事件と距離を置くことに罪悪感みたいなものがあります」
2階建て住宅のリビングには、ゲーム機や子どもが描いた絵などが置かれ、家族4人が暮らす生活感が残る。しかし、かつて室内に響きわたっていた声が聞こえることはない。 <平成二十七年九月十六日> 仏壇に並べられた3つの位牌に刻まれた同じ日付が事件の惨状を物語る。 「私は全部を失って生きる希望がありません」
●裁判員裁判で死刑も、2審の「無期懲役」にがく然
ことの始まりは2015年9月13日、警察による任意の事情聴取を受けていたペルー国籍のナカダ・ルデナ・バイロン・ジョナタン受刑者(当時30歳)が熊谷警察署から逃げ出したことだった。 翌9月14日、熊谷市内に住む夫婦2人を殺害。さらに2日後の9月16日、84歳の女性に加えて、加藤さんの妻と娘2人の命を奪った。 裁判員裁判として審理された1審のさいたま地裁は2018年3月、ジョナタン受刑者に死刑を言い渡した。 加藤さんは「当然だと思っていた」が、2審の東京高裁は2019年12月、死刑判決を破棄し無期懲役の判決を下した。ジョナタン受刑者が事件当時、責任能力が著しく低下した心神耗弱(しんしんこうじゃく)の状態だったというのが主な理由だった。 加藤さんは判決が下された瞬間をいまだに忘れることができない。 「結局は無期懲役にするための理由しかくみ取られておらず、納得できない。裁判官が同じ目にあったら、『あなただったら飲み込めるのか?』と言いたい」