殺人を犯しても生き続けられる“無期懲役刑”…「本当はこの手で殺してやりたい」苦しみ続ける遺族
●埋められない”死刑と無期刑の差”
追い打ちをかけたのは、検察が上告を断念したことだった。 「我々の味方だったはずの検察が一方的に上告できないと決めて、本当に失望しました」 裁判員裁判は国民の感覚が司法に反映されることを期待して導入された。国民から選ばれた裁判員が悩み抜いて選んだ死刑判決が覆されたことで、加藤さんは「本当に人間が嫌いになってしまった」という。 無期懲役囚の多くが獄死している今、無期刑は”終身刑”化していると言われる。だが、被害者や遺族にとって死刑との間には埋めることのできない差が存在する。 死刑囚は毎日が死と隣り合わせの生活に置かれる一方、無期懲役囚は明日も生きることが許される。そして、再び社会に戻れる「仮釈放」の可能性が残されている点も大きな違いだ。 「死刑になったとしても救われません。ただ、加害者が今生きていることに比べれば少しは救いになるかもしれません。本当はこの手で殺してやりたい」 言葉は強いものの、加藤さんは力のない声で伏し目がちに語った。
●仮釈放の判断に遺族の声を反映できない恐れ
受刑者の仮釈放は、本人に改善更生の意欲があるかなどを基準にして地方更生保護委員会が決める。その審理には被害者や遺族の意見を聞き取る手続きもある。 ジョナタン受刑者が将来、仮釈放の審査に入った場合、殺害された家族3人の意思を代弁できるのは加藤さんしかいない。 ただ、無期懲役囚は近年、仮釈放されたとしても刑務所の平均在所期間が30年を超えており、これから数十年先も加藤さんが健康でいられる保証はない。加藤さんが亡くなれば、遺族の生の声を仮釈放の判断に反映させることもできなくなる。 ジョナタン受刑者の仮釈放について、加藤さんは「考えたこともない。1日も早く死んでくれと思う」と率直な心境を明かした。
●遺骨の軽さが突きつけた「娘の死」
「なんで娘がおらんなってお前が生きているのか。生きていること自体、許すことができない」 そう話すのは、広島県廿日市市(はつかいちし)に住む北口忠(ただし)さん(66)。2004年10月5日、長女の聡美さん(当時高校2年生の17歳)を殺人事件で失った。 北口さんはいつも朝が苦手だった聡美さんを起こして出勤していたが、その日、聡美さんは高校で試験があり早く家を出たため顔を合わせなかった。 病院で再会した娘は眠っているようにみえたが、体を揺り動かしても目を開けることはなかった。火葬を終え、聡美さんの骨を骨つぼに入れる時、拾い上げた骨の軽さが娘の死を突きつけた。