二十歳のとき、何をしていたか?/友近 田舎にもこんなアホなことをする奴がいることを、プロにも知ってもらいたい。 その願いが叶うまでの道のりとは?
自分の笑いを追求すべく、NSCの門を叩いた26歳。
「ただ、言っていることはそのとおりだし、私としても今ほど伝え方を知らなくて、ふざけ方も独りよがりになっていたと思うんです。それに、視聴者に『ひょうきんなことをしているのに、どうせネタは作れないんでしょ』って思われていたら嫌だなとも思えてきて。完全に被害妄想なんですけど(笑)。だったら、自分が考える面白さだけを追求できる舞台で力を試したいなって思いが募り、仕事は順調だったんですけど、すべて辞めてNSCに入学することにしたんです」 このとき、友近さんは既に26歳になっていた。周りにいるのは、高校や大学を卒業してすぐの年下ばかり。しかし、そんなことに気を揉んでいる暇など、友近さんにはなかった。 「ありとあらゆるジャンルのネタを書いて、毎日先生にネタ見せをしていました。26歳だから、焦りもあったんでしょうね。幸い貯金があったので、他の子たちみたいにバイトをしなくてもよかったというのもありますけど、毎日ネタ見せしていたのは、私含め数人だったと思います。最初は気の合う人がいたらコンビを組もうかなと思っていたんですけど、価値観の合いそうな人がいなくて。そもそも私たちの期は不作で有名。同期ではようやく最近、おいでやす小田が出てきました。逆にコンビを組もうと言ってくれた人はいましたけど、ここで後悔するのは嫌やし、ウケてもスベっても自分の責任になるほうが楽だと思って、早いうちからピンでやっていこうと決めていましたね」 ストイックなネタ作りの日々は、思いのほかすぐに報われることになる。スナックのママをテーマにしたネタの面白さが、とある先生を経由してバッファロー吾郎さんたちに伝わり、在学生にもかかわらず2人が主宰するライブに出演することになったのだ。まさに幼き日に胸に抱いていた「こんなアホなことをする奴がいることを、プロにも知ってもらいたい」という思いが結実した瞬間だ。 「あのときは嬉しかったですね。ネタを作っているときは、バッファロー吾郎さんや中川家さんをテレビで見ながら、『早くこの人たちに見てもらって、認められたい』と思っていましたから。本当にそっちばかり見ていました。その当時のオーディションライブのお客さんは、女子中高生がほとんどなんで、私のネタはどちらかというと30代より上のほうをターゲットにしていたのでウケないんですよ(笑)。だけど、バッファローさんたちが舞台袖で笑ってくれていたので、このネタは間違ってなかったんだと思えて、自信にも繋がりました」 その後、NSCを卒業した後の友近さんの快進撃はご存じのとおり。NHK上方漫才コンテストをはじめとする数々の賞を総なめにした上、テレビやラジオで引っ張りだこになったまま現在に至る。 「なるようになるってよくいいますよね。この年になったらその気持ちもわかりますけど、20代の頃は、『とにかく自分が面白いと思う芸人さんと共演したい』という一心で、がむしゃらに頑張っていた気がします。今はバッファロー吾郎さんにしても中川家さんにしても仲良くお仕事をさせてもらっているので、それで言うと、あの頃に思い描いていた理想の自分になれているのかもしれませんね」