「eスポーツ・ワールドカップ」優勝候補が告白する"プロになるまでの苦悩"
「格ゲーをやる友達はいませんでした。同じマンションに同学年の友達がいて、その子に格ゲーを勧めて一緒にやったりはしたんですけど」 ただ、その友人とも互いに研鑽(けんさん)し合う関係にはならなかった。 「どうしてもレベル差があったと思います。その子とはスパⅣAEじゃなくても『スマブラ』(『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズ)でも遊んだりして、仲はずっと良かったですよ」 周りにはライバルがいない、中学校もやがて不登校気味になった。とはいえ孤独だったかというと、そんなことは決してなかった。 「その頃にはオンラインでの対戦システムが整備されていたんで、ネット上のつながりは充実していました。強いプレイヤーと対戦できましたし、ツイッター(現X)だったり、ニコ生(ニコニコ生放送)だったり、スカイプだったりがあって、そこには格ゲー仲間がたくさんいましたから」 ■東京遠征と、ウメハラとの対戦 当時、憧れていたプロゲーマーは? 「やっぱりウメハラさん(*1)。というより、ウメハラさんしか知らないって程度の知識でした(笑)」 (*1)梅原大吾氏(43歳)のこと。2010年にアメリカ企業とプロ契約を結んだ日本初のプロゲーマー。格闘ゲーム界のみならず日本のeスポーツシーン全体に道を示したレジェンド。まだまだ現役で、8月開催の「SFL: Pro-JP 2024」にも出場する そんなウメハラと、初めて対戦したのも中学生のときだった。 「夏休みや冬休みに、東京に遠征しました。3000円ぐらいの格安深夜バスを使っての強行軍で、新宿の『タイステ』(*2)というゲーセンで腕試しをしようと」 (*2)「タイトーステーション 新宿南口ゲームワールド店」のこと。当時、格闘ゲームの猛者たちが集うゲーセンとして有名だった ゲームセンターにおいて格闘アーケードゲーム機はまだ人気があった時代。スパⅣAEの筐体(きょうたい)の前には人だかりができていた。 「そこでウメハラさんと初めてリアルで対戦したんです。そのとき、ウメハラさんは連勝していて、筐体を挟んだ対面には挑戦者たちがずらっと列を作っていました。100円を握り締めながら(*3)、そこに並んだときは本当にワクワクしましたね。負けて並び直してまた挑んで負けて、というのを3回繰り返しました(笑)。そういうのがすごい刺激になって、格闘ゲームにもっと本気になりました」 (*3)格闘アーケードゲームの基本システム。勝者がそのままゲームを続行し、敗者もしくは新たなプレイヤー側が100円を投入する その取り組み方はゲーム機選びまでに及んだ。