若者の「不詳の死」をどう防ぐのか――遺族らが語った兆候と背景
3年前の7月に自殺で亡くなったそらくん。当時12歳、中学1年生だった。遺影の中のそらくんは、あどけなさの残る表情でほほんでいた。遺書はなく、亡くなる前日もいつもの様子だったという。 家族とそらくんは、7月の3連休を利用してキャンプに出かけた。釣りと海水浴が大好きで、一日じゅう海辺で過ごしていたという。夜に撮った動画からは「花火だー!」という家族の歓声が聞こえてくる。 2泊3日のキャンプを終え、帰宅した翌日は平日だった。朝、そらくんは気怠そうに起きてきて「学校に行きたくない」と言った。父親は仕事に出かける直前だった。あと1週間で夏休みになることもあり、登校を促したという。 「頑張って行きなさいと妻と私が言うと、残念そうな顔というか、何とも言葉にしづらいんですが、がっかりしたような表情で部屋に戻っていって、制服に着替えて荷物を持って、無言で玄関を出ていきました」 家を出たあと、そらくんは帰らぬ人となった。なぜ自殺は起きたのか。教育委員会が依頼した専門家による調査報告書には、「原因の特定は困難」と書かれていた。父親は、これまでもきょうだいげんかや悩んでいる様子があれば、夜にそらくんと2人でドライブに出て、話を聞いてきたという。 「コンビニに寄って、何か食べながら話したり。小一時間ドライブすると、気持ちが落ち着いてくるのがわかりました」
しかし、そらくんは何も残すことなく命を絶った。父親はソフトテニス部に所属していたそらくんのラケットを今も大切にしまっている。母親は3年経った今も、そのラケットを手にすることができないという。グリップの擦れた跡を優しくなでながら、父親が声を振り絞る。 「まだ何かを残してくれれば、無念を晴らすことですとか彼の気持ちをくみ取ることができるかもしれません。ただ何も残していないとなってしまうとですね、推測することしかできないので着地点がないんですね、心の」 気持ちの整理がつかず、遺骨はまだお墓に納めることができていない。息子の死と向き合い続けた3年間。あの朝、なぜ息子の声にもっと耳を傾けなかったのか。ずっと自らを責め続けてきたという。 「あのとき車で送ってあげて話を聞いてあげれば。学校なんて往復したって10分、20分ですよ。それだけで彼はこういう道を選ぶことは、たぶんなかったんじゃないかな」