シリアに軍事介入 ロシアはなぜアサド政権を守ろうとするのか?
内戦が続くシリアにロシアが空爆を開始して1か月以上が経ちました。ロシアの軍事介入は、中東情勢をより複雑化・泥沼化させるとの懸念が出ています。ロシアはもっぱらアサド政権打倒を目指す反政府軍に対して空爆を行っていると報じられますが、ロシアはなぜアサド政権の肩を持とうとするのでしょうか。ロシアとシリアの関係をめぐる歴史的経緯やプーチン大統領の思惑について、放送大学教授の高橋和夫氏が解説します。 【図】激動の中東情勢 複雑に絡み合う対立の構図を整理する
●ロシアの花嫁
ロシアとシリアの関係は外見よりも深い。それは1950年代のソ連時代にさかのぼる。 ソ連は1950年代中盤に兵器の供給を通じてエジプトやシリアなどのアラブ諸国に接近した。兵器の供給は、兵器を操作する要員の訓練を必要とする。多くのシリア人の青年が訓練のためにソ連に送られた。例えば、その一人にハーフェズ・アサドというミグ戦闘機のパイロットがいた。後にシリアの大統領となった人物である。現在のバシャール・アサド大統領の父親である。ソ連に送られたのは、軍人ばかりではなかった。医学などを修めるために留学した青年も多かった。ちょうどソ連と対立していた超大国アメリカがフルブライト奨学金などで多くの若者を世界から呼び寄せていたようにである。 シリアを含むアラブ世界からの留学生の大半は男性であった。そして留学中にロシア女性と恋に落ち、多くのアラブ人がロシアの花嫁を伴って帰国した。シリアの場合、その数は2~3万と推定されている。その結果、子供まで含めると数万のロシア系の人々がアサド政権の支配地域に生活している。ロシアとシリアを結ぶ人間的な絆である。ロシアのプーチン大統領にとっては、シリア問題の重要なポイントは同胞の安全確保である。 こうした強い交流にもかかわらず、1985年のゴルバチョフのペレストロイカ以降、ソ連は中東でのアメリカとの覇権争いから手を引いた。それは、経済停滞により、そうした外交ゲームを戦う経済的余力を失ったからでもあった。さらに1991年にはソ連自体が崩壊した。