シリアに軍事介入 ロシアはなぜアサド政権を守ろうとするのか?
●リビアの二の舞い
2000年、ロシアの指導者にプーチンが就任すると、エネルギー価格が上昇し始めた。石油と天然ガスの両方の世界有数の生産国であるロシアは、この価格上昇の恩恵を受けた。プーチンは、急増したエネルギー収入で解体状態にあった軍を再建し、再び中東を含む国際政治で大きな役割を担おうとしてきた。2008年から2012年にかけて、首相に「退いて」大統領のポストをメドヴェージェフに譲った。 この期間の中東地域における重要な展開は2010年末に始まった「アラブの春」であった。これはアラブ諸国における一連の民主化要求運動であった。まず2011年1月にチュニジアで独裁政権が倒れた。そして2月にエジプトで同じことが起こった。さらに秋には、リビアで大規模な反政府運動が起こった。その拠点は東部の都市ベンガジであった。しかし独裁者カダフィの部隊がベンガジに向かって進撃し、反政府勢力は虐殺の危機に瀕した。 この時に国連安保理で決議が成立した。この決議は、ベンガジの市民を守るための人道的な軍事介入を容認していた。ロシアは拒否権を行使せず、実質的に決議の成立を認めた。NATO(北大西洋条約機構)諸国の空軍が、この決議に基づいて空爆を開始した。そしてリビア軍のベンガジへの進撃を止め市民を守った。 ところがである。NATO軍は、軍事介入を継続して拡大し、リビア軍を解体した。そして、最後にはカダフィが殺害され独裁が終わった。安保理決議の人道的介入の範疇を超えた軍事行動であった。ロシアは、こうした内容の決議を容認したのではない。ロシアのメドヴェージェフ大統領は、明らかに欧米諸国に騙された。これがプーチンの認識である。 2012年にプーチンが大統領に復帰してからの政策は「リビアの二の舞」は繰り返さないという言葉に集約される。ロシアは、拒否権の行使の意志を明確にしてシリアのアサド政権に対する非難や軍事介入を容認する決議の成立を安保理で阻止し続けている。 プーチン大統領は、ロシアが影響力を有する政権の欧米の軍事介入による打倒を認めないという姿勢である。仲間は守るのである。そして9月末に始まったロシアの軍事介入により、アサド政権の崩壊のシナリオは短期的には可能性がなくなった。