倒産の危機→V字回復 外食大手の苦闘を描いた『熱狂宣言2 コロナ激闘編』 その舞台裏を聞く
最悪の事態をどう回避したのか
――『熱狂宣言2』の結末が、倒産といった最悪の事態もあり得た。 小松: 最悪の事態を避けるため、社長も社員も、出口の見えない状況で企業が終わりなき闘いに挑んでいた。コロナ禍と同時並行で、緊張感のある局面を取材させていただいた。コロナ禍が終わって存続した場合、V字回復してから仕切り直すよりも、苦しい時こそ取材してほしいというのが松村さんの意志だった。 幻冬舎の社長である見城徹さんからは、「松村さんの闘う姿の記録は、必ずDDグループのためになる。全ての外食経営者にとっても良き救済の書になるから、書き通せ」とアドバイスされた。お2人には、経営者の覚悟を見た感がある。 ――実際、グループ会社が離脱したり、グループ会社の社長が辞めたりした。DDグループは心を1つにして進んでいたように描かれていたが、難破寸前にも見えた。 小松: 私は何度か「苦しい」「書けない」と見城さんに訴えた。本当に松村さんが愛した会社が倒産する可能性があったからだ。しかし、見城さんからは「たとえ倒産しても、それを書くのがあなたの仕事だ」と言われた。その言葉に奮い立ち、取材を継続できた。 松村: 2020年は東京オリンピックが開催される予定だったので、インバウンドも含め多くのお客さまを受け入れられるように、ずっと準備してきた。2月の決算には成果も出ていた。弊社だけでなく、誰もがコロナのパンデミックを予期できなかった。 ――DDグループの店舗は、東京の山手線の内側に集中しているから、ステイホームになったら厳しい。外食でも郊外ロードサイドで非接触性が高い、ドライブスルーができる「マクドナルド」や「KFC(ケンタッキーフライドチキン)」は影響を受けなかった。 小松: グローバルダイニングさんは独自の考えで、緊急事態宣言下でも営業を続けられ、超満員だった。同社の長谷川耕造社長の哲学で、パンデミックに翻弄されない姿勢を貫かれた。外食にもいろんな考えを持つ人がいた。 DDグループは、コロナ禍の対応が遅かったとの批判的な報道もあった。その時々にいろんな立場で発言する人がいた。そういうことも記したかった。驚いたのは、政府や中心にいる政治家が、外食産業を全く理解していないことだった。支援金を出すにしても、100人を雇用する企業も自宅で1人でスナックをやっている女将さんも、一律に同じ金額を支給していた。 松村: 今まで飲食店を経営していなかったのに、突然看板を掲げ、法律の不備を突いて受給した人もいたと聞く。「から揚げ屋」でも何でも、実際は営業をしていなくても、休業をしていれば支援金をもらえたようだ。 ――コロナの支援金・協力金で、車を買った人もたくさんいたと言われている。 小松: 支援金を3年間もらい続けてマンションを買ったり、家を建て替えたりといった話も聞いた。政府からの自粛要請を守っている誠意のある外食産業の人たちが、こんなにも傷だらけになって、本当にやるせなかった。誰も悪くない。瀕死の状況で、すごい時代だった。もがき苦しみながらも、どうすれば光が見えるのか、皆が懸命に探していた。 松村: (「丸亀製麺」などを運営する)トリドールホールディングスの粟田貴也社長は、2024年9月に『「感動体験」で外食を変える』(宣伝会議刊)という本を出された。その中には、コロナにどう対処したのかも書かれている。売り上げが下がった時に、テークアウトを伸ばすために「うどん弁当」を開発したり、よりおいしいうどんを出すために全店に麺職人を置くようにしたり、とても勉強になった。 弊社もオムライス専門店やステーキ専門店を出したり、ランチを始めたり、デリバリーを始めたりした。また、八百屋さんと組んで野菜を販売したり、店舗のスクラップ&ビルドをしたりするなど、やれることは全部やった。