全日本人が絶句…日本が「法治国家崩壊状態」になったウラ側にある「ヤバすぎる密約」
「逮捕したら、すぐに米軍に引き渡せ」
もともと、 「米軍関係者が日本の法によって裁かれない権利」(裁判権)も、 「米軍が日本の国土全体を自由に使用できる権利」(基地権)も、 最初は旧安保条約と行政協定のなかに、はっきりと書かれていました。 まず裁判権のほうから説明すると、行政協定には当初次のような条文があったのです。 「日本の当局は、米軍基地の外での犯罪については、米軍関係者を逮捕することができる。ただし逮捕したあとは、すぐにその身柄を米軍に引き渡さなければならない」 (第17条3項(a)要約) つまり日本の警察は、犯人を逮捕することはできるが、その後、勾留したり、尋問したりする権利はないということです。 米軍関係者の犯罪が起こると、すぐに「第一次裁判権が云々」とよくわからない報道がされるのですが、基本的には現在でもまだ右の条文が生きていると考えると、事件の本質がとてもシンプルに見えてきます。
密約の方程式
ではなぜ、そんな理不尽な取り決めを結んでしまったのか。 その事情は次の通りでした。 裁判権については、まず行政協定をめぐる独立直前の日米交渉のなかで、当時アメリカとヨーロッパ諸国がすでに結んでいた「NATO地位協定」が発効したら、それにならって日本との行政協定も書きなおす。だからそれまでは、 「米軍関係者の犯罪の裁判権は、すべて米軍側がもつ」(第17条2項 要約) ということにしてほしいとアメリカ側から言われ、その要望を受け入れていたのです。 つまり、完全な治外法権ということです。 しかし、もちろんそれでは植民地そのものですから、1953年8月にNATO地位協定が発効すると、翌9月、日本の行政協定の裁判権条項(第17条)も約束どおり改定されることになりました。 ごく簡単に言えばこのとき、NATO地位協定を見本として、米兵の「公務中〔=勤務中〕の犯罪」についてはこれまでどおり米軍が裁判権を持つが、その一方、「公務外〔=勤務外〕の犯罪」については基本的に日本側が裁判権を持つという、新たな取り決めが結ばれることになったのです。 けれども現在まで、米兵犯罪についての実態は基本的に変わっていません。たとえばレイプ事件を例にとってみると、よほど凶悪なケースか、沖縄などで県警や地元の新聞社がよほど頑張ったときだけ、犯人が勾留されて尋問され、裁判が行われることになる。 いったいそれはなぜなのか。 ここで覚えておいてほしいのが、「密約の方程式」という言葉です(私が考えました)。 つまりこの1953年の「行政協定の改定」のように、米軍の特権についての条文が、米軍側に不利な方向で変更されたとき、そのウラ側にはほぼ間違いなく、日米合同委員会などで結ばれた密約が存在する。そして、米軍の権利はほとんど損なわれないようになっているのです。 それを式のかたちであらわすと、 「古くて都合の悪い取り決め」=「新しくて見かけのよい取り決め」+「密約」 ということになります。米軍問題を考えるときに、これは非常に威力を発揮する方程式ですので、ぜひ覚えておいてください(ちなみに第2章で見た、米軍の「財産」についての治外法権を認めた密約も、最初は行政協定の条文にそのまま書かれていたものでした。それがこの1953年の改定で同じく正規の条文からは消え、代わりに密約として新たに結ばれることになったのです)。