パリでは茶室に人だかりが...海外で「日本の茶道」がブームになっている理由
茶道の歴史
現代のこの茶道の礎を創ったのは、室町後期の僧、村田珠光と言われています。 彼は若かりし日には、抹茶の銘柄を当てるという博打におぼれたそうですが(闘茶と呼ばれ、武士階級を中心に流行りました)、一休禅師に支持し禅の修行に励むようになると、闘茶という見た目の派手さを競う茶の飲み方に意義を唱え、簡素な庵に高僧の掛け軸を掛け禅の境地に至りながらお茶をいただくというわび茶を説き始めたのでした。そしてここに茶禅一味という言葉が提唱されます。茶道と禅の目指すところは同じという意味です。 この精神性をもとめる茶の道(わび茶)は、武野紹鴎、そし千利休へと受け継がれ完成します。精神的な充足感をもとめ、物質的には、わびさびの境地、つまり世俗的なものをすべて取り払い削れるだけ削って余分なものがない状態をもとめました。利休に至っては、床の間もなくただ亭主と客があいむかう二畳の茶室まで削りついたのでした。
茶道にはまる芸能人やビジネスマンが急増中
そして、昨今は、茶道にはまる芸能人やビジネスマンが急増していると言われていますが、これはどうしてなのでしょうか? その答えは、「茶禅一味」(茶と座禅のめざすところは同じ、という禅語)という点にあると思います。座禅を組まれたことがありますか? 例えば、静かに座り、吐く息を数え続けるとか、ろうそくの火を見続けるとか。共通しているのは何かに集中して一心になるということです。 日ごろ我々は、絶えず色々なことを思い浮かべて多心になっていますね。思い浮かべることのほとんどがすぐには必要のない事です。必要のないことを思い、心を疲れさせているのが多くの人の毎日です。禅を組み一心になり、多心に振り回されている心の無駄な動きをとめることで、心が楽になり、元気になれます。 さらに、一心を保っていると、いつしか心は無心に入ることができます。無心の世界には、大宇宙の声、天の声が響いています。完璧な世界である大宇宙と一体となれれば、迷いがなくなるというわけです。 私はもう30年間座禅を組んでいます。茶道に出会ったのは15年位前です。最初は、お点前中の心は「次に何をするのだったかな」とざわつき多心でした。でも稽古を繰り返すうちにだんだんと、考えなくても体が勝手に点前を進めてくれるようになります。そのうえで、目の前の一挙手に集中していくと、どこかで感じたのと同じ感覚を覚えるようになりました。 そう、毎日の座禅を組んでいるときの心持と同じ気持ちなのです。目の前の一挙手に一心になっていました。そして、茶室という小宇宙と、さらに大宇宙との一体感を感じられるようになってきました。それは禅を組んでいるときの無の感覚と同じで、とても心地よい時が流れていきます。 情報オーバーロードと言われるように、現代は、情報の量が加速度的に増加していて、日々必要な情報を確認するだけでも、ストレスを感じているのが多くのビジネスマンの心でしょう。多心にならざるをえず心は疲れるばかりです。芸能人も芸能情報の発信媒体は多様かつ大量化し、時代をつかみつづけるには多心にならざるをえない。 そんな日々のなかで、疲れがちの心は、今まで以上に、ひと時の休息を求めています。茶道は、そのニーズにピッタリなのだと思います。だから、茶道に引き寄せられる芸能人やビジネスマンが多いのだと思います。私もその一人であります。