「ネオン」の灯りはなぜ人を惹きつけるのか…札幌から那覇まで日本全国の夜の街を歩いてわかったこと
そもそも「ネオン」とは何か
では、そもそも、ネオンとは何か?という疑問が浮かぶだろう。ここで少し、ネオンについて説明させて頂く。 『NEON(ネオン)』とは「新しい何か」を意味し、大気中に極微量に存在するガスのことを指す。それは、125年以上前の1898年、イギリスの化学者ウィリアム・ラムゼイによって発見された。 それから、時はしばらく経ち、1910年、フランスの科学者であったジョルジュ・クロードによって、ついに、ネオン管が発明される。クロードは、ネオンガス、アルゴンガスを封入したガラス管の両端を繋いで放電すると、発光することを発見した。ネオンガスは赤く発光し、アルゴンガスは青く発光する。そこに各色に塗装したガラス管と組み合わせると、さまざまな色を表現できる。現代におけるネオン制作の原理のほとんどはクロードによって発明された。 それまでの広告照明は白熱電球が主流で、文字を形どったボックスに小さな電球を並べるだけで、表現出来ることは限られていた。ネオン管は光量が高い上に光質が柔らかく、さまざまな色を表現出来る。その上、ガラス管をバーナーで熱しながら、ゴムホースから息で圧力を掛けることによって、形も自在にコントロール出来る。広告照明として表現の幅が広がり、一気に普及していった。 1920代から、アメリカ、ロサンジェルスやラスベガスなどの新しく発展し始めた街で、ネオンが積極的に利用されるようになる。1940年代以降、巨大化するカジノへと誘う道路沿いのネオンは、煌びやかさを増し、斬新なカジノのネオン照明は世界中から注目を集めた。 日本で初めて国産のネオンが点灯されたのは、1926年の日比谷公園で開催された納涼大会のゲートに掲げられたものだという。戦前では、ネオンは小規模なカフェやバーなどで利用され、徐々にキャバレーなどの大型店でも採用されるようになり、次いで一般企業の広告にも大いに採用されるようになった。 戦後、壊滅状態となった都市部では電力不足のためネオンの利用は規制されていた。電力事情が好転した1949年に、やっとネオンが解禁となると、銀座四丁目交差点を中心に、企業のネオンサインがビルの屋上を飾るようになる。銀座に続き、戦後の好景気や、高度経済成長と共に、ネオンは各地の都市を照らし続けていくこととなる。