「ネオン」の灯りはなぜ人を惹きつけるのか…札幌から那覇まで日本全国の夜の街を歩いてわかったこと
ポンジュースの巨大ネオンと「上京」
2020~24年の5年間、南は那覇、北は札幌まで、僕はネオンが照らす風景を求めて日本各地の街を歩いてきた。どの街でも、多くのネオンがLEDに置き換わり、その数を減らしてきたが、ここ数年で新たなネオンも増え始めている。 【写真】夜の街を美しく照らす「ネオン」の写真を見る…! ネオンは設置条件が良く、定期的に補修を続ければ、30年以上灯り続けるものもある。なかには40年近く灯り続けているというネオンも、数多く撮影してきた。街を歩くと、この数日で取り付けられたネオンから、30~40年も前から街を照らし続けてきたネオンまで、いちどきに出会うことができる。そして、ネオンが設置されたお店や屋上広告には、そのネオンが取り付けられた其々の時代を生きた人々の志向や感性が盛り込まれているのを見ることができる。 この撮影を通して、多くの人から耳にしたネオンにまつわる話のなかで、特に印象に残っているのは、ポンジュースのネオンについての話だった。 モノレールで羽田空港を出てすぐの多摩川の分流である海老取川の対岸に、1975年に建てられたという、煌々と赤い光を放つ6メートル×24メートルの『ポンジュース』と書かれた巨大なネオン看板が聳えている。生まれ育った故郷から上京し、飛行機で夕暮れの羽田に降り立ち、初めて乗ったモノレールの車窓から見えてきた、ポンジュースの巨大なネオンに、『ああ、東京に来たんだ』という感慨を覚えた、という話を東京在住の何人もの地方出身者から聞いた。今でもポンジュースのネオンを見る度に、初めて上京した時の不安や期待、孤独や焦燥など、複雑な感情が込み上げるという。 長年そこにあり続けることで、企業の宣伝広告のために作られたはずのものが、当初は予期もしていなかった社会的な役割や機能を果たすことになるという、興味深い話である。ポンジュースを発売する『えひめ飲料』の社内でも、数年前に看板の老朽化によって、省エネや効率化を考慮し、ネオンからLEDに置き換えるという議論があったという。だが、羽田のポンジュースのネオン看板は、上記のように、多くの人の記憶と体験を支えていることを意識し、ネオンでの広告の継続を決めたのだと、サイン業界関係者から聞いた。