どうした品川、嫌われ者の涙
『アメトーーク!』で“好感度低い芸人”とネタにされる「品川庄司」の品川ヒロシ(49)。高校中退し紆余曲折のすえNSC東京1期生となったのは23歳。やがて人気芸人となり、2006年、不良少年を描いた自伝的小説が大ベストセラーに。それを原作とした映画『ドロップ』で監督を務め20億円興収の大ヒット。しかし一方で、「当時は天狗だった」と自身が語るようにアンチが多いことでも有名だ。有吉弘行に“おしゃべりクソ野郎”とイジられ、本人もさすがにへこんだとか。毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい芸能界、炎上必至のネット社会の荒波のなか、マルチな才能を発揮しつつ、いかに生き続けてきたのか。(ジャーナリスト・中村竜太郎/Yahoo!ニュース Voice)
俺、バカだから。口に出さなくていいことも出していた
――いまから20年前にブレイク。血気盛んな若手時代はどうでしたか。 品川: やっぱ(お笑いで)天下取りたいと思っていましたね。 ケンカで無期停学になって高校入学後すぐに退学。それから母親(美容研究家のマダム路子)の仕事の手伝いをしたり、肉体労働や水商売のバイトをしたり。で、何度か引きこもっているときにテレビのお笑い、特にダウンタウンさんに強烈に憧れて、芸人になろうと芸能界に入ったわけなんですけど。松本(人志)さんなんか才能でねじ伏せる感じじゃないですか。めっちゃかっこいい。自分もきっとそうなれると若気の至りで勘違いしてガンガンいっていた(苦笑)。 だから、先輩後輩の上下関係に従えとか、理不尽なことがあれば、「やめてやる、この世界!」というくらいの荒い鼻息。パワーがあり余っていたし、「売れたい」という気持ちが強すぎました。 ――当時、芸人は火花を散らし、誰が先に売れるかを競っていた。もともと向こう気の強い性格でしたか。 品川: うん、俺、バカだから。「負けねーぞ」なんていう気持ちは口に出さなくていいのに、それを公然と口に出していましたね(苦笑)。 「ノーギャラでもいいから前説やらしてください」とプロデューサーに直訴して、仕事をもらっていましたし、とにかく「テレビに出たい」。それイコール芸人の成功だと信じ切っていました。苦節何年という芸人が大勢いるなかで、だから意外とはやく売れたんですけど、ビートたけしさんやダウンタウンさんのように、「いつか冠番組持つぞ」とたぎらせていて。しかし愚かというか、まあ単純です。周囲から「どんな冠番組持ちたい?」って聞かれれば、実は、なんにもないんです。じゃあ「どんな番組に出たい?」「『ダウンタウンDX』とか『アメトーーク!』とか…」。けっきょくは、そこのお盆に乗っかりたいということだけだったような気がします。