能登半島地震の体験と珠洲原発の恐怖 落合誓子[ノンフィクションライター/珠洲市在住]
出るのも苦、住むのも苦
なんとか「自分の家に住めている」という人も「やっとの思いで雨・露を凌(しの)いでいる」というだけで、状況は決して簡単ではない。冒頭の数字を当てはめてみると「壊れていて住めない家」は別として、珠洲の人口の約半数に当たる数の家が修理を待っているのだから、家族の平均人数を2人としても全戸が修理を待っている。 そんなところへ本職の職人などが簡単に来てくれるはずはない。さりとて、素人が自分で張った屋根のブルーシートなど、気休めに過ぎない。ちょっと強い風が吹くとすぐに外れてしまう。 これは筆者の経験だが、突然2階の上の方でガラスが割れるような凄(すさ)まじい音がしたので、びっくりして行ってみると屋根のシートが外れて、じゃじゃ漏れになった屋根から落ちた雨水が2階の蛍光灯の傘のカバーに溜まって、その重さで電球といっしょに傘が床に落下した音だった。 電気がまだ来ていなかったから危険はなかったが、知り合いの伝手で羽咋市に住む屋根業者に頼んで「屋根の応急処置」が完成した時には被災から3カ月以上も経っていた。
庫裡も本堂も倒壊した寺が十数カ寺
寺へ続く階段を登って、ようやく全体が見渡せ、視界が広がるところに出た瞬間、私は目を疑った。庫裡の2階がまるで手の届く位置にあり、本堂は巨大な瓦の山、綺麗に手入れされた庭木とのアンバランスが無惨だ。 珠洲市大谷町廣栄寺。この寺は震源域の真ん中にあり、地震で揺さぶられ、続いて、裏の山が崩れてほんの数分で全てが倒壊した。綺麗だった本堂と改修してからあまり経たない勇壮な庫裡の面影を探すが、見えるのは巨大な屋根の名残りの、瓦の残骸ばかりだった。 どこからか声がする。見回すと2階だった窓に人影が……。この寺の坊守だった。彼女は、夫である住職と珠洲市のこの寺に帰ってきてから何年経っただろうか。前住職を助けて和やかに寺の仕事をされていた。 それが正月早々のこの地震。あえなく寺は倒壊。なりたての新住職は本堂の中で崖崩れに巻き込まれて不明となり、およそ1カ月近くも遺体さえも見つからなかったのだ。 2階といっても高さは目の高さより少し上で、その辺りの奥には若夫婦の居室があった。何かを探しておられたのだろうか。何の言葉も出せないまま、ただ立ち尽くすだけだった。 珠洲市の寺院のほとんど全てが壊滅的被害。 この地方の特徴の一つだが人口の割には寺が多い。それは取りも直さず、古い歴史をたどると、人で溢(あふ)れていた時代があり、昔はとても栄えていたということでもある。 今回はそんな寺の被害がことに多かった。 現在の人口は1万と少し、そこに各派を足すと、60ほどの数の寺がひしめきあう。そのほとんどが本堂か庫裡が全壊している。その両方が潰れた寺も数知れず。寺を支えてきた信者集団も自分の家さえ無くなったのだから、寺の再建はほぼ絶望的だ。 古い木造建築が多く、今回の揺れには耐えられなかったのだ。筆者の家も東本願寺を本山とする真宗大谷派に属する寺で、先述したように山門は倒壊。鐘楼堂と本堂は「いち早い対策」で辛うじて倒壊を免れた。しかし、本堂に続く座敷の一部や大切なものがたくさん詰まっていた物置がこなごなに飛び散った。 広い建物や境内が地域の中で役割を果たしてきた歴史を考えると一時代が確実に終わったことをこの地震は教えてくれたのかもしれない。