「変人扱いされる」元世界王者・辰吉丈一郎52歳、波瀾万丈のボクシング人生
「段ボールで寝た」プロデビュー前に路上生活の過去
中学時代の恩師、依田進吾の勧めもあって、卒業後は大阪に出る。プロボクサーになり、既に病床に伏しがちになっていた父に楽をさせたかった。 「不安のほうが大きかったですね、ワクワクドキドキというよりは。自分が田舎におるときはケンカで強かったかもしれんけど、果たして(ボクシングで)通じるんかなと」 入門した大阪帝拳ジムは関西初の世界王者、渡辺二郎を生んだ名門。多くのプロボクサーや練習生が在籍していた。岡山から単身16歳で出てきた少年には分からないことだらけだった。 「ジムに来たら挨拶をするとか、先輩の使ったグローブを拭くとか、何でこんなことしなきゃいかんのやろと思っていました。今思えば、下っ端やし当たり前のことなんやけど、当時は知らんかった。(岡山で)ずっとわがもの顔で来とったもんやから、なんでそんなこと、いちいちせないかんのかなと」 それでも天性のセンスをのぞかせるまで、さして時間はかからなかった。アマチュアでスタートし、17歳で出場した全日本社会人選手権で優勝。スパーリングで名だたるプロ選手を圧倒したという噂も広まり、「大阪に辰吉あり」とあっという間に名前が知れ渡っていく。 「負けず嫌いでしたね。(ジムで)こんなやつらに負けてたまるかっちゅうのもあったし、ここで一番になったろうっていう考えもあった」
1988年ソウル五輪代表の有力候補にもなったが、予選で惜しくも敗れた。アマチュア最初にして最後の黒星は悔しかったが、生活に困窮していたためアマチュアに未練もなかった。 「その当時は、もう早くプロになりたかった。金もなかったし。すぐ仕事(アルバイト)がクビになるから家賃が払えなくなって、路上生活した時期もある。段ボールとか公園にある土管みたいなところで寝たり、冬場はホテル街の駐車場とかね。もう、これ以上言えんわ」 この頃、プロボクサーとして生きる決意を固めてくれる存在と出会う。のちに生涯の伴侶となるるみだ。辰吉が17歳、るみが21歳のときだった。 「知り合ったときは成人の女性と未成年の男子ですよ。危ない恋や。仮に出会ったとしても、普通は付き合うことはないでしょう。金がなかったから、デートも散歩して話したりするだけ。僕がほれとったんです」