「変人扱いされる」元世界王者・辰吉丈一郎52歳、波瀾万丈のボクシング人生
21歳の世界王者を襲った病魔、そして伝説の薬師寺戦
プロデビュー戦は韓国選手を相手に2回KO勝ち。2戦目は世界ヘビー級王者マイク・タイソンの試合の前座で東京ドームに登場と、とんとん拍子に階段を上がった。 「今でこそ(井上)尚弥君とかもデビュー戦で外国選手と対戦したりするけど、僕のときはまだ珍しかったからびっくりしました」 アマチュアでの強さが恐れられ、日本選手からは対戦をことごとく断られた。デビュー戦は韓国ランカーで、2戦目はタイの国内チャンピオン。3戦目のフィリピン人のWBC地域王者まで全てKOで勝利した。さらに4戦目で今も最短タイ記録として残る日本タイトル挑戦。この試合もKOで勝って初めてベルトを腰に巻いたときには、日本ボクシング界で最も期待される存在になっていた。
初めての世界挑戦は1991年9月、プロ8戦目のリング。具志堅用高の9戦目を超える当時国内最短での世界奪取が懸かっていた。 「もう、一生懸命でしたね。日本を背負うというか、偉そうなことは言えないんですけど、何か、国旗があがると、結構気合入りますね。ああ、そういう試合なんやなと」 プロアマ通じて300戦を超えるキャリアを誇る米国人王者を終始攻め続け、10ラウンド終了TKOに追い込んだ。試合後、テレビカメラに向かって「父ちゃん、やったで」と語りかけた。 「僕、父ちゃんが大好きなんですよね。僕の中では、父ちゃんの子でよかったというか、父ちゃんの子でチャンピオンになったんで、そういう思いやった」
岡山の不良少年が世界王者になって父子の夢をかなえたサクセスストーリーが第1章なら、第2章は栄光と挫折の折り重なった骨太な物語だ。世界王者になった3カ月後に左目の網膜裂孔が発覚して手術。1年ぶりの試合となった初防衛戦で初の敗北を喫した後は、王座返り咲き、網膜剝離、世界戦3連敗とボクサー生命の淵をさまよい続けた。 眼疾の影響か、キャリアを重ねるにつれて、顔を腫らす壮絶なファイトが増えた。デビューから世界王者に初めてたどり着くまでのボクシングに目を奪われたファン、関係者は辰吉の運命をのろったが、本人は違った。 「僕はもしこうやったら、もしああやったらっていう考えは持たない人間なんです。みんな『もしも』ってよく言うけど、僕はそういうのんきなことを考える人間ではない。人生一回こっきりですし、一度しかない人生を、なんでそんなふうに考えんのやろ」 「目のケガをした後も、あんまりボクシングは変わってない。なんやったら、もっと顔を前に突き出して、殴ってみろよみたいな。この目はどうなっても大丈夫だよとアピールしとったかな」