「変人扱いされる」元世界王者・辰吉丈一郎52歳、波瀾万丈のボクシング人生
打たれても打たれても前に出る。当時「世紀の一戦」とうたわれ、テレビの平均視聴率が39. 4%(関東地区)を記録した1994年12月の薬師寺保栄戦も相手のジャブで右目が塞がったが、最後まで戦い続けて敗れた。 「観客がすごかったよね。まあ、よくない試合でした、負けたからね」 「負けるのが怖い、という気持ちはあります。でも、痛いから怖い、ケガするから怖いという感情は僕には全くないです。死を恐れとるぐらいやったら、ボクシングは選ばないでしょ」
今も「1日1食」。なぜ引退しないのか
シリモンコンに勝って3度目の王座奪取を果たした1年後、辰吉はリング上で大の字になっていた。1998年12月、ウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)の強打に王座陥落。その8カ月後、王者と挑戦者の立場を入れ替えたリマッチでもTKO負け。約3万人をのみこんだ大阪ドームの真ん中で、立ったまま意識を失った。 「2試合とも全く覚えていないんです、失神してるんで。不思議なことに、試合会場に行ったのも覚えとらんし、控室でウォーミングアップしたとか、バンテージ巻いたことも覚えてない。記憶がすっぽり抜けている。ただ、リング上で目を開けたら、すごいライトに照らされていたのは何となく覚えている。あおむけで天井を見て寝てたんやね」 最後の世界タイトルマッチから23年、タイで行った最後の試合から13年。20勝(14KO)7敗1分けという、その存在感とあまりに不釣り合いな平凡な戦績とともに辰吉のプロボクサーライセンスはとうの昔に失効した。だが、本人は今も練習を続けている。 「毎朝ロードワークをして、ジムで練習できる日はジムに行っている。食事は今も1日1回だけ。今は(息子2人が独立して)女房と2人きりなんで、女房の食事を少し多めに作って、その残りを僕が食べる」
ルールで試合はできないのになぜ練習を続けるのか。当たり前の疑問もこの男にかかると愚問でしかない。 「毎日の努力が報われないとか考えたこともない。いつ来るか分からんチャンスってあるじゃないですか。それに備えているのも事実やし、ぐうたらしてる自分が許せんというのもある。しんどいな、休もうかなと思う日はあります。でも、ボクシング自体を嫌だと思ったことは一回もない」 「カズさん(三浦知良)も現役を続けているけど、サッカーが好きなんやろな。日本は好きなことをとことんやったら、変人扱いされる。いつからそんな世の中になったんかな」 最愛の父が死んだ年齢になり、次男の寿以輝は既にプロボクサーとして14戦のキャリアを持つ。おじいちゃんになった辰吉は、死ぬまでボクサーのつもりなのだろうか。 「始まりがある以上、必ず終わりがある。いつやめるかは自分で決めます。ものには限度があるからね。(日本初となる)3度目の王座返り咲きをしたら終わりなんよ。それだけのこと」
辰吉丈一郎(たつよし・じょういちろう) 1970年、岡山県生まれ。1991年にWBC世界バンタム級王座獲得。その後、通算3度の王座獲得を果たした(暫定含む)。試合のテレビ視聴率は軒並み20%を超える人気を誇った。プロ戦績は通算20勝(14KO)7敗1分け。家族は妻と2男(寿希也、寿以輝)。寿以輝はプロボクサー。 (聞き手:塚原沙耶/構成:山口大介) 【RED Chair】 ひとりの人生を紐解く『RED Chair』。先駆者、挑戦者、変革者など、新しい価値を創造してきた人たちの生き方に迫ります。