禁じられた主題、隠されたメッセージ-写真展「Human Baltic われら バルトに生きて」は今だからこそ見逃せない
東京・表参道のスパイラルガーデンで、国内初となるバルト三国ヒューマニスト写真展「Human Baltic われら バルトに生きて」がはじまりました。1960年代から90年代のバルト三国(エストニア、ラトビア、リトアニア)を代表する17人の写真家の作品200点以上が集結。旧ソ連社会における検閲や弾圧に対して、メタファーを駆使し隠れメッセージを潜ませて表現の不自由さに抗い、“真の意図”を伝えようとした写真家たち。同展はそんな彼らの作品を通して、ソ連時代を生きたバルト三国の人々のありのままの姿を力強く伝えています。 【写真】ソ連社会で裸体はご法度。会場ではヌード写真に課せられた制約を強調するように“赤線地帯”として展示していた
「『ヒューマニスト写真』は、人々の人生模様、そこにあるストーリーやドラマ性を扱うジャンルと認識されています。バルト三国の写真家たちは、あらゆる制約の中でそれに挑戦しました。禁じられた主題がたくさんあり、対象をドキュメントとして残すことも危険な行為でした。宗教はなかば禁じられたコンセプトであり、教会に行ったら仕事を奪われてしまうような状況で30年もの間、宗教的な主題を撮り続けた写真家の作品も今回展示しています」と、同展メインキュレーターのアグネ・ナルシンテさん。
発展する経済、豊かな暮らし――そんなソ連のプロパガンダにそぐわない、本来の生活や人々のリアルな姿を写真におさめることは許されず、宗教や貧困、性といった特定のテーマの撮影も禁止されていました。写真家に求められたのは、ソ連のイデオロギーに沿った“正しい記録”のみ。でもそれはファンタジーであって、実際は店には何も買うものがなく、人々の生活は食卓に並べるものにも事欠く貧しいもの。 また写真は芸術とみなされておらず、他の芸術家たちのような社会的地位を得ることができない写真家たちは、生活のために働かねばならず、材料不足にも悩まされていました。権力者によって展示会が中止になることも多く、写真展の開催はアンダーグラウンドで、会場のドアを閉めてひっそりと数日間だけ。それでも、公けな宣伝はせずともその存在はみなが知っていたそう。