禁じられた主題、隠されたメッセージ-写真展「Human Baltic われら バルトに生きて」は今だからこそ見逃せない
さまざまな制約や抑圧の中でも、人々のありのままの姿を焦点にあてたいと考えた写真家たちは、視覚的な比喩や隠されたメッセージ、そして特殊なコミュケーション言語を用いることで、厳しい検閲をかいくぐって制約に立ち向かいました。たとえば、教会の祭りに焦点を当てた写真家の場合、“祝福する人々”を撮影しても宗教的なオブジェは撮らないという選択をし、宗教的な儀式をしたり一緒にピクニックを楽しむ人々の姿は、「祝福する村の人々」というタイトルで主題を隠したそう。
ラトビアのストリート・フォトグラファーの作品の特徴は、「健全な環境に健全な人間は育つ」といったスローガンが書かれた看板などの文字情報をイメージに盛り込むこと。ソ連が強調するプロパガンダと日常的なシーンを隣り合わせることで、風刺的な印象をもたらしています。ちなみに、ペレストロイカ時代の写真で、看板に描かれていたゴルバチョフさんの頭のシミは消されています。
ソ連社会に存在していたこと自体が驚きの、「パンクス」に焦点を当てた写真家もいます。まるで80年代のニューヨークやリバプールのパンクキッズのような彼らは、正真正銘のエストニアのパンクスたち。バンド音楽や文学がKGBに禁止されるか当局に管理されていた状況で、西洋音楽やサブカルチャーの影響を受けた型破りな彼らを当局は迫害。尋問や投獄されることもありました。そんなパンクスを撮影することも禁止事項に抵触しており、写真家は何度もKGBに連行され、尋問や嫌がらせを受けたそう。
“ヒューマニスト写真”のジャンルには含まれない、「ヌード」を主題とした作品も登場します。裸体にまつわることは全て恥ずべきものとされていたソ連社会では、現地の作品で性やヌードは決して描かれず、外国映画のそうしたシーンは切り取られる。それでも写真家たちは、裸体の美しさを捉えることをあきらめず、秘密裏に撮影。同展では、そうしたヌード写真に課せられた制約を強調するように、“赤線地帯”として展示されています。