北の富士さんからの電話はいつも突然… そのたびに謝ってばかりだった私、でも、もう電話はかかってこない
◇記者コラム「Free Talking」 大相撲九州場所8日目の17日。私は現場の福岡を離れ東京にいた。お世話になった本紙評論家の北の富士勝昭さんに、最後のお別れをさせていただくためだった。亡くなって5日が過ぎていた。 ◆北の富士、5度目の賜杯や大鵬との名勝負【写真複数】 「親方、遅くなってすいません」。いつものように頭を下げた。昼過ぎの飛行機に乗るため、棺(ひつぎ)の前には30分しかいられなかった。心の中で話しかけ、ただ顔を見つめることしかできなかった。 北の富士さんのもとへ駆けつけることはよくあった。連絡が来るのはいつも突然。そのたびに謝ってばかりだった。 毎年、この時期になるとタラ鍋に誘ってもらった。 「いいタラがあるんだけどね、来る?」 北の富士さんの誘いとあれば、既に満腹でも断ったことがない。 「じゃあ30分後に待ってるからね」 30分後か…。「間に合うわけがない」と愚痴をこぼしながらも一目散に駆けつけた。 ある時は浅草橋の焼き鳥屋にいる北の富士さんから電話が。 「もう店にいるんだけど、あとどのくらいで着くのよ?」 不機嫌そうな声。その前に「そんな約束してないんですけど」と頭を抱えながら、とりあえず駆けつけた。北の富士さんはポツンと1人。私が行かなかったらどうなっていたんだろうか。そんなことが多々あると、多少のことでは驚かなくなる。 バカでかいTボーンステーキを「おれはこっち、君はそっち」と分け合って食べた。おなかは満たされた。「口直しに行こう」と言うのでコーヒーか甘い物かとついて行くと、向かった先はオイスターバー。大量の生ガキで口直しとなった。 地方場所は1人でホテルに宿泊している北の富士さん。早朝に突然の電話で起こされた。 「今日はテレビの解説なんだけど、昨日から便が出なくてね。体育館に行くまでに出ないと困るんだ。アレを買ってきてよ」 「アレ」で分かってしまう自分もどうかと思うが、早朝から開いている薬局を探して、いつもの便秘薬を届けに行った。 「あと歯磨き粉も。白くなるやつね」と追加の注文。そうくると、こっちもやけくそだ。「この店で一番白くなる歯磨き粉をください」。訳の分からない私の要求に、店員さんもさぞかし驚いたことだろう。 もう電話はかかってこない。あのころが本当に懐かしい。(大相撲担当・岸本隆)
中日スポーツ