<ラグビー>TL3連覇のパナソニック、SH・田中が号泣した理由とは?
南半球最高峰スーパーラグビーの日本人選手第1号だ。昨季王者のハイランダーズで3シーズンもプレーしてきた31歳である。 この午後もパナソニックのスクラムハーフとして先発したが、パスミス、判断ミスを悔やむこととなる。それでもチームは、相手のフルバックであるフランソワ・ステインに圧力をかけるなど、事前分析の成果を活かした。陣地の取り合いで優位だった。 ターニングポイントは、後半20分だった。東芝が敵陣深い位置から短いキックを蹴ると、ハーフ線をやや超えたあたりで田中が捕球。ここから凸凹だったタックラーの網をかいくぐり、スタンドを沸かせる。 「僕じゃなかったら、トライまで行っていたと思うのですが…」 途中で追っ手に倒されるも、その左にいたフッカーの堀江翔太主将がさらに前進する。お次はセンターのJP・ピーターセンが、しなやかにインゴールへ駆け抜けた。仕上げはパーカーだ。急角度からのコンバージョンを決める。27-14。今回のシーソーゲームにあって、最大点差をつけた瞬間である。 「僕の足が遅いことで、チームで戦っているなということを実感できました」 決定的なスコアのきっかけを作った田中は、笑ってこう振り返るのだった。 「やっと、チームに貢献できたな、と。それまでは判断ミスとかもあったので。(パナソニックは)リアクションがいいので、僕が飛び出した時に周りが反応してくれる。あれはチームのトライだと思います」 涙を流した優勝インタビューは、「まだまだ、日本ラグビーの戦いは続きます」と締めている。 2011年のワールドカップニュージーランド大会で未勝利に終わり、罪悪感にさいまなれた。2019年の同日本大会に向けて「これを成功させないと、日本ラグビーが終わってしまう」と危機感を発露。日本にいる海外のスター選手のサインをもらい集めては近所の子どもたちに配り、Facebookでファン同士のコミュニティーページを作ったりした。自身がスーパーラグビー参戦を目指したのも、楕円球先進国のすごみを世に伝えるためでもあった。 2015年には指揮官のエディー・ジョーンズらと衝突しながらも、日本代表の中核としてワールドカップイングランド大会で3勝を挙げる。帰国後に空前のラグビーブームを目の当たりにした。 しかし、真の満足感を得るのは、まだまだ先だと言うのである。