特攻隊長との別れ「それ来たぞ」「いよいよ来たか」淡々と死刑執行へ~28歳の青年はなぜ戦争犯罪人となったのか【連載:あるBC級戦犯の遺書】#60
悪い前触れ 看守の素振りがぎこちなく
スガモプリズンでの死刑執行は、前年の11月11日の後、しばらくは無かった。そのため、もう執行はないのではないかという安堵のような空気がプリズン内にあったという。 しかし、5ヶ月おいて4月に執行された石垣島事件7人の死刑が、スガモプリズン最後の処刑となった。 <十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)> 三月末に、石垣島ケースの再審の結果、井上乙彦大佐以下七名の死刑が確定したと発表された。それでも我々は執行はないのではないか、と僅かな希望を捨てる気にはなれなかった。しかしこの希望も無駄であった。その週の月曜頃からゼーラー(看守)共の素振りがだんだん妙にぎこちなくなって、余りものも言わなくなった。これは今迄の経験に依ると悪い前触れであった。やるな、という感じがしてきた。 いよいよ木曜の夜が来た。(※実際は水曜)いつもの訪問が、時間がきても許されないので、みんな或る予感の前に緊張しながら、焦りに駆られていた。ブロックの中は声一つ聞こえずに、シーンとした一種異様な静けさの中に時間は過ぎていった。突然、廊下の鉄扉を開く不気味な音と大勢入って来る足音が聞こえた。 〈写真:死刑を宣告される幕田大尉とみられる男性(米国立公文書館所蔵)〉
「それ来たぞ」「いよいよ来たか」
幕田大尉を見送る佐藤吉直大佐。佐藤大佐は年下の、まだ30歳の幕田大尉の様子を見て、途中から涙を堪えきれなくなっていた。 <十三号鉄扉(散りゆきし戦犯)> 「それ来たぞ」これが幕田君の第一声だった。 「いよいよ来たか」と応えて同時に立ち上がったが、私はともすれば涙が落ちて仕方なかった。私は勇気を出して彼の支度を手伝った。「みんな持ってゆけよ」と言って何も彼も包んだ。見ると網扉の前にはGIが立って待っている。GIは名前を呼ばずに黙ってみていた。 幕田君は煙草をくわえて落ち着いて支度を続けている。支度が全部終わった時、初めてGIが「幕田」と呼んで扉を開けた。私は幕田君の手を固く握って「残念だなあ。元気でいってくれ。俺も後から行くよ」と言った。 「仕方がないよ。佐藤さんも元気で居てくれ。色々御世話になりました。」と幕田君の言う言葉は平常と全く変わりがなかった。 「お母さんに状況を知らしてやるよ」と言うと、「母と昨日会ってよかったよ」と声を落としてしんしんと言った。前日にお母さんが半年ぶりに御出でになったのも、虫の知らせというものだったろう。彼はさよなら、と一語を残して、まことに淡々として平常と変わりない顔で去って行った。 幕田大尉の母は、この面会後、田嶋隆純教誨師を訪ねている。田嶋教誨師は説法だけでなく、死刑囚たちの助命嘆願に力を尽くしていた。半年近く処刑がなかったことで助命運動が功を奏したとの自惚れもあって、「もう大丈夫ですよ」と慰めて帰したので、急な呼び出しに面食らった、とある。(「わがいのち果てる日に」田嶋隆純編著2021年講談社エディトリアル) 〈写真:横浜軍事法廷での佐藤吉直大佐(米国立公文書館所蔵)〉