「私も一緒に辞めようかな」7年目アイドルの本音 「先輩が引退して」残ったグループアイドル・町村かなの覚悟
そうしたら、すごく大きな声でまっちーが『わかってますよ!』『わかってますよ!』って何度も叫ぶように言い返してきたんです。ケンカしたのはあれが最初で最後かな」 ■「当落線上」にいたオーディション そもそも最初にグループのオーディションを受けたとき、町村は当落線上にいた。 歌、ダンスなどは素人そのものであり、とても即戦力としてアイドルデビューできそうな人材ではなかった。 「レッスンしても、どうだろうか……」
運営の冠野氏は一度は落とすことも考えていたという。 だが、町村には他のアイドルにはない、どこかズレた感じがあり、そのズレが技術レベルを凌駕する存在感を放っており、それが合格の決め手となった。 そして、正式メンバーとなったわけである。 当然ながら、ライブへの取り組み方やダンスなどのレベルは当時の彩瀬からすれば許容できるものではなく、先の電車内での注意につながったというわけだ。 「だって本当に下手だったんだもん(笑)」と彩瀬は当時のことを笑いながら振り返る。
「もう当時は千聖さんについていくだけで必死だったので……なんかそうなっちゃいました。でも、自分自身、どうにかしようって思っていました」 町村は、この電車内での出来事を、自分自身の不甲斐なさにもがいていた時期だったと回顧している。 そんな町村も毎日のようにライブをこなし、彩瀬の背中を必死に追いつづけ、コロナ禍も必死に耐え抜き、気がつけば6年という月日が流れていた。 もはやライブアイドルとしては中堅であり、同じ事務所でも多くの後輩ができていた。
「はわ~~~! 私が先輩だなんてそんな! そんな!」 独特の言い回しで謙遜しているが、6年間も彩瀬の隣でライブをこなしてきたその実力は確かなものであり、日々の努力と自己犠牲を払ってきているからに他ならない。 今度は、町村が多くの後輩に、その背中で語る番だろう。 ■周囲が再認識し始めた「町村のアイドル力」 そして彩瀬が引退した今、ひとりスポットライトを浴びた町村の魅力に周囲が気がつきはじめてきた。